文化講座
掌の骨董65. 鎌倉時代の金銅「唐獅子」
鎌倉時代の唐獅子
コロナウィルスのため約2ヶ月自宅自粛を過ごしました。まあ歴史に残る世紀のウィルス感染を経験しましたが、計り知れない経済的損出が出たようです。
この感染による自粛は大きな社会変革をさまざまな領域において起こすと思います。これを機に新しい世代による、新しくより合理的な仕組みによる風通しのよい社会が形成されることを望みます。
今回は第65回といたしまして、これからの時代が雄々しくあって欲しいとの願いから、鎌倉時代の金銅唐獅子について書いてみたいと思います。以前連載第38回の「高麗青磁神獣水滴」で獅子について書きました。
高麗青磁神獣水滴
いうまでもなく、唐獅子の唐は日本からみた唐天竺、すなわち東アジア一帯から東南アジア一帯を指した言葉です。日本の福岡県唐津は、かつてそうした唐の国々と貿易していた港(津)という意味からついた地名です。
獅子はライオンのことですが、ライオンは日本にはいないので昔の日本人には馴染みが薄く、イメージもハッキリしません。具体的には虎の方が絵画にも描かれ、朝鮮半島にも生息していたようで、加藤清正の虎退治としても有名です。
エジプトのスフィンクス(世界四大文明展・エジプト文明展より)
ライオンで有名なものは、エジプトのスフィンクスです。スフィンクスは古来旅人に謎かけをして、答えられないと罰として殺したと伝説話に残っています。現在のエジプトのスフィンクスは頭はファラオ(エジプトの王)で首から下はライオンなのです。エジプトの王は、頭脳は人間が一番優れていることは理解してました。ただ体力はライオンが一番俊敏で力あり優れていると考えていました。そこで理想的な動物として、合体させスフィンクスを考えついたのです。
トトメスⅢ世のスフィンクス(BC15世紀頃・世界四大文明展・エジプト文明展より)
そんな理想的スフィンクスを砂漠の岩に彫り込んだのでした。現在の大スフィンクスはエジプト最古とされ、その最右翼として、岩が雨季の浸食を受けていることからその年代を推測して紀元前7000年頃を制作年代とした意見や、もっと古いとするグラハム・ハンコックの説は、星座の研究から紀元前10500年ころの春分の日の朝にスフィンクスの正面から星座「獅子座」が昇ったことからこのタイミングの頃に作られたとしています。謎の多いスフィンクスですが、獅子座と結びつけた点が興味深いです。
百獣の王、ライオンならではの歴史が古くからありますが、日本にはいつ頃伝来したのでしょうか?最近日本語、日本文化、宗教、天皇制はヘブライの影響を受けているという説が流布してきていますが、2000以上の日本語の言語的ルーツがヘブライ語であるという研究や、神社神殿の構成がヘブライ祈祷所に酷似していること、山伏とヘブライの神官・牧師によく似ていることや唐獅子、諏訪大社の御柱(エジプトのオベリスク)などから、その説はかなり有力であると私は思います。神社の日本最古は奈良の大三輪神社、石上神社とされます。そうした多くの神社系列には唐獅子・狛犬が門前にいます。唐獅子・狛犬のルーツはライオンで、先のようにエジプトがルーツであると思えます。それがアジアにヘブライ人たちを介して、歴史的なバビロンの捕囚以後日本に伝えられたと考えられます。
私が見た日本最古の伝来獅子は、中国唐時代製作になる正倉院遺物の柄香枦の柄の端に付いているバランサーのブロンズ獅子像です。
(共に2007年正倉院展カタログより)
今回の獅子は鎌倉時代の金銅製です。前足がガッシリしているところ、体が筋肉質である点が鑑定ポイントです。もちろん金箔の落ちた古銅の味わいも良いものです。
筋骨隆々のたくましい肩と前足
一時代前の平安時代の唐獅子(狛犬ともいう)はスタイルがスラリとして、筋肉質ではなくスッキリして、長い前足で、まっすぐです。顔付きも鋭さを感じさせます。
シリア近辺出土の興味あるスフィンクス(45㎜・詳細は調査中)
この獅子という表現より狛犬の呼び名の方が日本人には馴染みやすかったのでしょうか、日本では獅子(獣足)→狛犬→猫足 というように次第に優しく変化してます。それが日本の貴族好みと武士文化の風土に培われた日本文化なのかもしれません。