文化講座
第71回 「連載の2・青森を旅する・八戸」ヘブライ民謡と伝イエス・キリストの墓を訪ねて

村の「伝・キリスト墓」
前回に引き続き、青森県戸来村にあります、伝・キリスト墓について探求してみたいと思います。
私が直感的に新郷/戸来村にある「伝・キリスト墓」を、これは「本物」なのかもしれない、本物ではないかと最初に感じた理由には、まず「弟」の供養墓が隣にあるからです。どうして、弟の供養墓も一緒にあるのか。これが極めて大きい理由となったからなのです。
普通なら「キリスト」の墓のみ一基があるのが一般的だからです。それなら私も普通に疑ったかもしれません。弟の存在は、あまり知られていませんし、ましてイスラエルから9500キロ以上離れた日本、それも本州最北端、十和田に近い戸来村(ヘライ村・ヘブライ村?)に、キリストの墓があり、その隣に弟の「供養墓」があるなど、だれが信じるでしょうか。ですから、普通、「キリストの墓」が青森にあるらしいと聞いたら、誰もが「なぜキリストの墓が日本に?そんなことあり得ない」と即座に否定するにちがいありません。学者であっても同じです。しかも「違う」確たる根拠は何も無いのに「否定」するのです。まずかれらが否定的であるのは、キリスト墓が日本にある「理由」がない、こう考えるからです。私は「弟」の供養墓の存在が大きいと申し上げました。伝承が伝わるだけでもすごいことです。
ではなぜ「弟」なのか?私が、「弟の供養墓」を見て、これは「本物」かもしれない、と直感したのはなぜか?
まずこの謎を解くためには、幾つかの問題を解決しないといけません。イエス・キリストはゴルゴダの丘で磔刑に処せられて刑死しています。このことは誰もが知っています。それは当時の信者を含め、関係者の皆が見ていましたから、事件そのものは事実です。それを確認した、重要な証人がいます。

伝・キリスト墓の入口の案内板
初期キリスト教の最も重要な使徒の一人「聖パウロ」です。彼は「新約聖書」において、多くの書簡を集め、編集した人物とされるほど、キリスト教の成立、「新約聖書」の成立にとっての最重要人物の一人といえる人物ですし、大変熱心なキリスト教信者でした。しかし、彼は当初ユダヤ教の厳格なパリサイ派として、キリスト教徒を迫害していた側だったのですが、イエスの磔刑による死を見た「事実」と、死から「復活」した「事実」を、共に実際に彼自身の眼で確認したことから、心からイエスの「復活」を信じ、これまでの迫害を後悔、「回心」して、一転して重要なキリスト教宣教者の一人となったほどでした。
彼の教えや手紙は、キリスト教がユダヤ教の枠を超えて「世界三大宗教」の一つとなるうえで大変大きな役割を果たしたといわれています。
パウロの最初のヘブライ名は「サウロ」で、ギリシア語名は「パウロス」。ローマ市民権を持ち、地中海各地を巡って異邦人(非ユダヤ人)への伝道に尽力、アナトリア半島から南ヨーロッパにかけて多くのキリスト教教会を設立。紀元67年頃、ローマで殉教したと伝えられます。キリストの復活を実際の眼で見て、キリストの神性にビックリして、熱心なキリスト教団の伝導師となったほどでした。
彼による教えと影響、「人は律法の行いではなく、イエス・キリストへの信仰によって「義」とされる(救われる)」という信仰義認を説きました。新約聖書の『ローマ人の信徒への手紙』や『コリント人の信徒への手紙』など、多くの書簡(パウロ書簡)を残しています。
真摯な聖パウロでさえ、磔刑に架けられて刑死したすべてを見ていた、あの真面目な聖パウロでさえ、死んだはずの墓から復活したイエスを見て、仰天し、あり得ないと考えた「復活」の事実を心から信じ、キリストは神にちがいないと、その教えの神秘さに感銘を受け、熱心な信者の一人に「転向」したくらいですから、他の一般信者は言うに及ばずです。
しかし、良く考えてください。一度十字架上で槍によって、心臓、あるいは肺を、下から深くえぐられて、実際に亡くなったイエスが、生き返るでしょうか?絶対にあり得ません。
私は信者でもありませんし、また「キリスト教」を冒涜しようなどとはすこしも考えませんが、冷静に考えてみて、現代の合理主義からしても、死んだ人間が生き返ることは絶対に「あり得ない」ことです。ではどうしてパウロはイエスの「復活」を見たのでしょうか?
これは仮説というか、もうヨーロッパの若い学者の間では「真実」となりつつあるようですが、これ以外には考えられないのですが、イエスが逮捕されようとする、まさにその時、イエスによく似た弟のイスキリは、イエスの罪では「死刑」になるとは考えておらず、軽く済むと考えたようで、成り行き上、偶然も重なり、似ていたことから身代り逮捕になってしまったのだと考えられます。しかし、後に「磔刑」に掛けられるという事態に進み、ことの深刻さを知ったのではないでしょうか。そして刑の執行直前、「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか?」(エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ)と十字架上で神に訴え、嘆いています。この言葉は後世に神学者の間で問題になって、イエス・キリストが磔刑に遭ったなら、イエスそのものが「神」であるし、救世主なのだから、「神」に哀れみを請う、訴えるようなことは言わないだろう、という考えもありました。私はこれが弟のイスキリの本音だったのではないか、偶然、やむ無く、そうした「身代り磔刑」を受ける事態になってしまったのではないか。そう考えたのです。

イエスの弟イスキリの慰霊墓・後ろが兄の伝イエス・キリストの墓
イエスは成り行きとはいえ、弟の身代り死という現実を、どう思いながら看過したのでしょうか。やむなく「復活」ということに置き換え、身を切られる思いで弟の死を無駄にしなかったということでしょうか。弟の死体と入れ代わって、墓から3日後に出て来た。「復活」です。そう考えるしかありません。それをパウロが実際に観ていたということになります。

子供のミイラ(東京国立博物館)
私は「死からの復活」を絶対に信じませんし、死んだ人間が生き返ることはありません。過去の事例で、生き返ったとするものがあるとするなら、それは「仮死状態」を「死」と誤認した結果から起きたことです。古来、エジプトのミイラは数限りなく作られましたが、生き返ったミイラは、未だ一体もありません。それにイエスの死は、申し上げましたように、恐らく2人の刑吏による長槍により、胸深く刺されての致命傷による刑死であり、必ず役人による検死もなされますから、確実な「死」であることは間違いありません。母であるマリアも嘆き悲しみ、死を確認してます。聖杯がイエスの血を受けたともいわれます。
ですから、「復活」は成り行き上の、やむを得ない「偽装」であった、そう考えるしかありません。
もう一つの不思議である「なぜイエスは復活の後日本に来たのか」という大きな謎に挑んでみましょう。磔刑復活から30日後、イエスは姿を消し、その後再び現れることはありませんでした。それはまさに「謎」とされます。墓所とされる「聖墳墓教会」の墓所には、遺体はありません。諸説ありますが、興味深い説の一つを紹介します。
「復活」もキリストの「奇跡」の一つとされますが、病人の苦痛を癒したということも「奇跡」とされています。ホスチアというパンの小片を、礼拝の折に信者に与え、キリストの血となり、肉となるように、とお祈りする儀式です。小さなパンの小片を口にしただけで、病気の苦痛が無くなったり、軽くなったともされますが、これも基本的に、あり得ないことです。医療において、麻酔という事実が確認されていない当時、そうしたことが可能になるとすれば、キリストはパンの小片に、大麻を塗りつけて与えたとしか考えられません。大麻ならそれが可能です。キリストが「復活」のあと、しばらくして行方不明になり、それきり姿を見せなかったと仮に考え、その「墓」が一応日本の青森にあると仮定したなら、次のようなことが「推測」できます。そのキリストが使っていた「大麻」の手持ちが底をつき、その補充に日本に渡ったとしか考えられません。死からの「復活」の奇跡を遂げたキリストは、奇跡を繰り返す必要に迫られたと考えることも、あながち邪推ではないでしょう。そう考えた先学もいます。それ故、はるか遠くの日本に大麻を求めに来日する過程で、何か「やるせなさ、空しさ」を感じ、もうこんなことは止めよう、遥かな日本で身代わりとなり死んだ弟を弔いながら、静かな余生を送ることに決め、そうした生活を送る中、かなり前から日本に住み着いていたヘブライ系移民の妻を娶り、弟の霊を慰める余生を送ったという「推測」です。
それを推定する理由として、キリストの行方不明当時(西暦30年か33年)の日本は一大大麻の産地だったとされ、それに符号します。現在、大麻といいますと、麻薬という禁止された薬物となりますが、その歴史は古く、それを証明するかのごとき事実があります。世界最古とされる、縄文文化の初期、福井県三方町の鳥浜遺跡からは、12000年前の麻縄が発見されています。また、千葉県館山市の沖ノ島遺跡からは、約1万年前の大麻の種子が出土しています。縄というのは、神社において聖なるシンボルとされています。「注連縄」は実は、神聖視されている蛇の交尾姿説(吉野裕子著「蛇」集英社)が有名であり、その聖なる「蛇」の縄文の「縄」は、2匹の蛇のねじれた交尾の姿がシンボルとされますから、縄は神聖な大切なもの代表と考えられてきました。それ故に、その「縄目」を日常使用する鉢や食器類、大切な土器類に刷り込んだのです。ですから、なわ文から「縄文土器」と言われるのです。
大麻の文化史では、日本は発掘データから世界最古といえる歴史があります。それほど日常生活に馴染み、上は清浄のしるしとしての天皇即位式の麻の白い式服から、日常の麻の布、屋根の拭き藁、蚊帳、縄、薬までの生活から宗教儀式に密接につながってました。薬、漢方としても活用されます。苦痛を和らげ、安息をもたらす薬にまで使われ、いわば日本列島が「大麻文化」の上に成立していたほどでした。
麻薬ですから、過剰な輸入による販売と摂り過ぎは体の衰弱と、かつて中国史上有名な事件「アヘン戦争」、アヘンの代金決済のため、清朝からイギリスへの銀の過剰流出となり、イギリスと中国清朝との間に「アヘン戦争(1840~1842年)」が勃発したように、国家としての清王朝を破滅に追い込む、恐ろしい「麻薬」とも成り得ます。そうしたことから規制は1912年、オランダのハーグで始まりました。もちろん日本では1930年に「大麻取締規制」が制定され、取締りが始まりましたが、この事実は、それまでは「自由」であったということの逆証明になります。

キリストの里・伝承館
また、興味深いのは、キリスト兄弟墓のそばには、イスラエル大使がこの地を訪れて、そのことを記念する石碑があることです。日本国民と、村人たちはイエスの墓を信じなくても、イスラエル大使と国は、実際に来られて、礼拝された訳ですから、「あり得るかも」と信じていた可能性は十分にあります。これは大きな「真実」です。大きなイスラエル国旗「五芒星」が使われ、国家を上げて礼拝したのです。さらに新郷村の村長もイスラエルを訪問し、現地で新郷村とそっくりの風景を見たと話していたといいます。仮にそうだとしますと、イエスの心に懐かしいイスラエルの風景が新郷村で思い出され、成り行きとはいえ、罪深き身代りをさせてしまった弟を弔いながら、懺悔の余生を静かに送りたいという気持ちにさせた、こうも考えられます。私はその村長の見解は、極めて大きいとおもいます。

代々キリストの墓守とされた沢口家の墓地のニ基 家紋はイスラエルの古い「五芒星」です。
この沢口家墓所はもともと、村の旧家で、イエスの墓守をされてきた沢口家代々の墓所です。もともとあった墓はあまりに古く、新しい墓石に変えたようです。キリストの子孫とされる沢口家には、目が青く鼻が高い日本人離れした風貌の人物もかつており、村人の間で「天狗が住んでいる」と言われていたときもあったといいます。もしかしたら沢口家はキリストの末裔かもしれないのです。何と、言い伝えられてる沢口家の家紋は、イスラエル伝統の「五芒星」です。また私の敬愛する真摯な作家・立松和平氏もこちらを訪れ、熱心に調べられ、その時の写真が残ります。
キリスト墓説を否定する方々の「根拠」説として、しばしば取り上げられるのが、日本の「奇書」とされる「竹之内文書」です。これによりますと、キリストは若いころ日本で宗教修行して、その後イスラエルに行き、処刑を弟の身代りにより免れて、再度戸来村に戻り、人生の無常を感じ、犠牲になった弟イスキリの霊を弔った可能性があるとされます。もともとモーセの「出エジプト記」にはじまるイスラエル建国、更なるアッシリア帝国の弾圧と虜囚の歴史、12部族の一部部族の行方不明、その行き先が日本だったのではという「推測」、さらにそれを証明するようなヘブライの遺民の移住から、言語、習慣などのヘブライ文化が浸透したこの辺りの風土がイエスには合っていて、さらに妻を娶り安らかな生を全うし、それが沢口家と言われているのです。前回にご紹介しました「ナギヤドヤラ」なる歌謡もそうした中で生まれたものではないでしょうか。
この伝承のきっかけをなしたのは、「竹之内文書」で、この文書によると、地球の神々は宇宙から来て、世界を統治した「上古初代天皇」であり、彼らは数十兆年という長い歴史を有し、全ての世界人類は天皇の子孫とされます。またモーセ、キリスト、仏陀、マホメット、孔子も天皇から教えを受けたとされます。
教祖とされる竹内巨麿(たけうち きよまろ、1874~1965年)は、戦前からいかがわしいとされ、不敬罪に問われたり、オカルト的な内容から、明らかな「虚構」、インチキ宗教、インチキ話とされ、抹殺されて来ました。そのため、彼が紹介した「キリスト墓」も偽物と判断されてきましたが、彼より以前からある「キリスト墓」は、その範疇にはないと私は判断いたします。「竹内文書」にも、成立の理由はあり、すべてが偽りではないかもしれません。既に存在していた「キリスト墓」から触発されて書き加えた可能性も残りますが、最近では「古事記」のように「伝承」の中にも「真実」が隠されていると考える研究者も少なくありません。
現代科学は地球の歴史は46億年であり、宇宙の歴史も138億年としてますから、数字的には、それら竹之内文書の数字は確かに「大虚構」といえますが、それまで日本の学会が紀元前4000年が「日本史」最古としてきた縄文時代は、今やアメリカの科学者の発明になる「放射性炭素C14年代測定」機器により、青森県津軽郡外ヶ浜の大平山元(おおだいやまもと)1遺跡から出土した土器は、まさかの紀元前14500年前という世界最古の土器であり、かつ縄文は世界でも最古の文明であり、どのような世界の文明も縄文時代には年代的に1万年の「差」をつけられていることが証明されました。この事実は「縄文時代」を広く世界にアピールし、世界を驚愕させてきました。日本の学者たちの判断基準は何だったのでしょうか。世界の四大文明が、その年代だったからでしょうか。まったく不可解です。このように、世間の「判断基準」というものは、根拠のない憶測が多く、思わぬところから「真実」が、いつ顔を出すか分からないのが「現実」です。言語もその一根拠です。
この縄文時代の始まりの1万年差は大変なことであり、青森市、八戸市近隣から津軽半島、そして北海道の一部一帯はその縄文宝庫の中心的地域となり、メソポタミア、ヘブライ文化も古来から伝来し、諏訪大社に伝来する旧約聖書の話であるアブラハムによるイサクの犠牲神事も、謎の「御柱」、すなはちエジプトのオベリスク建造も伝わっていると思われること、更に伝承ではありますが、モーセの神宝も日本にあるといわれ、更に天皇家とメソポタミア王家の家紋の一致、京都祇園祭や山鉾巡行、伊勢神宮、神社神道とイスラエル、ヘブライ文化との近似関係も、さかんに取り沙汰される昨今、かつイエス・キリストの墓も伝承とはいえ、青森にあるとなると「竹之内文書」の内容も「笑い事」ではなくなりつつあるように思えるのです。
世の中には確かな伝承などはなく、古文書なども利害関係人により書き直されているのが大半であり、その事実は学者が一番良く知ってます。何十年にわたる旧石器時代の依頼発掘、いわゆる「東北古文化研究所」の藤村某への人任せ的発掘依頼と、彼による虚偽発掘と、教科書を書き変えるような「虚偽発見」すら見抜けなかった学会の怠慢とその「権威」こそが崩れ去り、彼らにより消された微かな「真実」が、今後少しずつ息を吹き返す可能性は十分あるといえるのです。笑う者が笑われるようになる時代は、いつの世にもあるのです。常に「真実・あるがまま」を真っ直ぐに見つめ、謙虚に真実を積み上げるのが「歴史学」であるべきなのは、いうまでもありません。古来からの伝承というものは、どこかに「真実」の断片を隠し持っているものなのです。
「『あり得ない話』は『あり得る話』」は私のモットーです。もし、どうしても「あり得ない」とお考えなら、その「根拠」をお教えいただければと思います。
ここで私が「キリスト墓及び弟の慰霊墓」を「本物」かもしれないと観た理由をまとめてみましょう。
① 弟の慰霊墓があること
② ナギヤドヤラ歌謡が伝来すること。
③ 沢口家という、古来からの墓守り一族がいること。また一族に青眼の子孫の伝承があること。
④ イスラエル大使が礼拝に来たこと。更に彼らはそこにイスラエル国旗の「五芒星」を入れた「石碑」を建て、祈念したこと。
⑤ 戸来村の村長がイスラエルを訪れたら、景色が戸来村に極めてよく似ていたこと。
⑥ 真摯な作家、立松和平氏が来訪し、熱心に調べていたこと。
⑦ 「竹内文書」に掲載されていること。「竹内文書」は怪しまれているが、そもそも「キリスト墓」は古くからあり、掲載されたからと言って、「偽物」とすり替えることはできない。
⑧ 古来から現在まで、天皇即位には麻の白い儀礼服を着るほどであること。
⑨ 日本には古くから「ヘブライ文化」が伝来していること。
⑩ 日本の地名、行事、言語、習俗にヘブライ文化との共通点が極めて多くあること、などが上げられている。
2回の連載、お読みいただき、ありがとうございました。少しでも「真実」に近づくことができればと願っています。

伝キリスト墓(奥)と弟の慰霊墓
※参考資料・大麻という農作物(大麻博物館刊)
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