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旅・つれづれなるままに

細矢 隆男

第26回 法隆寺の謎「伏蔵(ふくぞう)」


湯屋前(法隆寺参道)の囲われた「伏蔵」

 新年明けましておめでとうございます。本年もたのしく、ちょっと知らないお役に立てる「旅」の情報をお届けしたいと思います。よろしくお願いいたします。

 私は法隆寺の美しい五重塔や金堂の写真を撮影しにしばしば訪れます。また近くには※藤ノ木古墳(こちらをクリックされますと、第11回 斑鳩「藤ノ木古墳」の記事にアクセスできます)があり、そこから出土しました副葬品は最高にすばらしく、現在は橿原考古学研究所付属博物館に一括「国宝」に指定され、展示されていますので、帰りには必ず寄って鑑賞させてもらっております。藤ノ木古墳は歴史の闇を見る思いですが、その遺品の美しさ、完成度は比類ないものです。

 さて法隆寺境内を歩くうちにいろいろな不思議に出会います。調べてみると古来から有名な不思議なものとして伝えられているものがいくつかあります。今回はその一つ「伏蔵(ふくぞう)」をご紹介いたします。

 昔から法隆寺の不思議とされてきた「伏蔵」とはなんでしょうか?何か良く似た言葉に「腹蔵なく話す」の腹蔵という言葉がありますね。これは「なく」という否定語がはいりますから、腹に隠すことなくすべて話すという意味ですね。字が一字違うのですが、考えてみると同じような意味かもしれません。伏してという字は隠れているさまを意味しますから、似ています。


かつての賑わいを取り戻した法隆寺の現在

 法隆寺は寺院ですから、本来は隠すものなどないはずですが、なぜこの「伏蔵」なる隠す蔵というものが、本当にあるのでしょうか。

 調べてみますと、どうやら次のような理由らしいのです。仮に法隆寺に将来、重大な危機が訪れたならば、伏蔵を開いてその危機を切り抜けよ、といつの時代かは分かりませんが、古代といえる時代からいい伝えられてきたらしいのです。


法隆寺金堂

 法隆寺が寺院として危機を乗り越えることのできる財宝が隠されている場所があるといわれます。それは寺伝によれば次の三ケ所といわれます。

三ケ所(四ケ所)
①湯屋前(法隆寺参道)
②金堂内
③経蔵内
(④)鯛石下


南大門前の鯛石

 このように禁止されていることを知ると、探したり掘ったりしたくなりますね。それに通じる話は日本には浦島太郎伝説や鶴の恩返しの物語にありますね。二つの昔話に共通することは、見ないで下さい、開けないでくださいという相手の願いに背いてしまったことです。人間は見ないで、開けないでといわれると見たくなる、開けたくなるのが人情です。

 しかし法隆寺の伏蔵はかつて開けられたことはないといわれますが、それはわかりませんね。かつて法隆寺が困難に遭遇したことは何回もあったからです。まあ、この話は例えとして適切かどうか分かりませんが、それに近い話で、世界的に本当にすごい財宝が出てきた話は、ツタンカーメン王墓のみのように思われます。日本全国にある埋蔵金伝説のほぼすべては、現時点では何も出ないというのが結果のようです。ですがすでに持ち去られている可能性も否定はできませんね。

 話を戻しますが、法隆寺ですらすでに掘られて、すべて無い可能性ということもあり得ます。しかし法隆寺は日本最古の寺院ですから、民間の伝承よりは、存在する確率は高そうですね。

 私たちが歩いていて、目にしやすいのは参道に近い大湯屋前の竹の柵で囲われた伏蔵ですが、他にも金堂の東北角と、経蔵内にそれぞれ存在していると言われます。


経蔵

 金堂と経蔵の二つの伏蔵は昔からその位置が確認されていました。しかしながら、この大湯屋前の伏蔵は伝承のみで、長い間はっきりとした場所が不明のままでした。

昭和58年7月21日に至り、この場所の地下約10数cmの土の中から楕円形の大石が発見されました。金堂と経蔵の伏蔵も大石で蓋がされていたことから、第三の伏蔵として注目を集めました。


湯屋前の「伏蔵」

 また一説に近くの大和川が増水したときに、溢れた水が法隆寺に押し寄せましたが、南大門前の「鯛石」のすぐ近くで水が引いたそうです。そうした不思議な伝承も影響していると思います。

 法隆寺の他の数々の不思議につきましては、また機会がありましたら触れてみたいと思います。皆さまも、法隆寺にいらしたら是非興味を持って調べてみてください。

※こちらをクリックしますと同じ著者によります「掌の骨董」にリンクできます。


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