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旅・つれづれなるままに

細矢 隆男

第21回 恐山の信仰 第2回目/連載全2回


恐山山門と地蔵菩薩 風車は水子の慰霊のもの

 前回は私の好きな恐山と温泉についての私個人の観光的側面から書いてみました。今回の2回目は東北地方でも独特な恐山の信仰について書いてみます。是非知っていただきたい内容です。

 地質的には日本列島に数ある火山性の硫気孔から蒸気が常に吹き出している九州の別府温泉によく似た、血の池地獄や無間地獄などの各種地獄が存在している恐山は、死霊のあつまる山中他界とみられてきました。


恐山の水子地蔵像

 イタコという、死者の霊を蘇らせその言葉を伝える霊媒師がたくさん夏にこの山に集まることが有名です。おシラさまという、日本には珍しい夫婦の冥界の支配者が信仰の対象です。


エジプト・後期のウシャプティ(副葬された人形)。主の代わりに労働するという。

 私は子どものころから独特なエジプト文明に深く興味を持ち勉強してきました。その宗教観は仏教にも深く影響を与えています。寺院で焚くお香、亡くなった方に捧げる蓮信仰、閻魔大王と地獄世界、特に三途の川についての宗教観などの源信以来の日本の浄土思想は、濃厚にエジプトの宗教観から影響を受けたことは確実です。法然や親鸞の浄土宗、浄土真宗にとり重要な源信僧都の著作「往生要集」はまさにエジプトの「死者の書」に驚くほど類似しています。細かいことを比較研究しますと一冊の研究書になる内容ですから、ここでは主だった内容のみにしますが、エジプトの死生観が深く日本の浄土宗、浄土真宗に影響を与えたことは間違いないです。阿弥陀如来はアミタバーというエジプトの神からの名前によく似てますし、そもそも阿弥陀浄土という「来世」の考えは、仏教の祖であるお釈迦様の考えにはありませんから、阿弥陀浄土は釈迦本来のインド宗教にはないことは確かです。釈迦は弟子から「人間は死んだらどうなるのでしょうか?」と質問された時にこう答えたと伝えられています。「私は死んだことがないから、わからない」と。この事から分かるように、釈迦は想像や空想の世界をまったく重視しない、現実主義者であったようです。根本的に分からない死後、来世のことより、この現実にある苦しみに満ちた現世をいかに生きるかの方に思考の力点が置かれていました。死後のことはわからないと答えた釈迦が、死後の極楽浄土の盟主である阿弥陀如来を信仰する訳はありません。やはり阿弥陀如来の信仰はインド仏教とは違う歴史をたどってきたと考えるべきでしょう。


釈迦如来(ガンダーラ・2~3世紀)

 では極楽浄土の世界はどこから日本に入ったのでしょうか。私は蓮の歴史、それは日本の皇室の菊の紋章のルーツでもありますが、それはエジプトからメソポタミア、さらにインドを経て、チベットや中国、更に日本に伝わり、人々に極楽浄土という希望を与える宗教に発展したと考えています。


蓮をかたどった飛鳥時代の瓦

 エジプトでは大河であるナイル川が南から北の地中海に流れ、朝に日が昇る東が生の始まりを表し、西は日没、すなわち夜、死を表していました。それゆえナイル川の東側すなわち生者の国に人々は生活し、死ぬとナイルを船で渡り西側、すなわち死の国に埋葬されます。ナイル川は浄土思想における三途の川そのものなのです。オシリスと妻のイシスがいて、やって来た死者の魂の正邪を計る天秤にかけて地獄行き、極楽行きを判断し、分けます。


青銅のオシリス神(エジプト後期)

 正しい魂は極楽に、邪悪な魂は地獄に突き落とされます。まさに阿弥陀信仰における地獄極楽の考え方とまったく同じです。エジプトでは死の国である西側に死者の墓、ピラミッド、寺院、王家の谷があります。


エジプトの代表的な香たち
左・没薬(ミルラ)、中・麝香(ジャコウ)、右・乳香(ムスク)

 蓮についても同じで、エジプトのセティ一世の墳墓の壁画にレリーフで描かれています。エジプトのような暑い国では葬儀の折りに腐敗臭が漂い不快なため、よい香りのする蓮の花を参列者が棺に供え、いやな臭いを消したと考えられます。香は後にご婦人の香りの世界へと独自に発展していきますが、同じように寺院の香炉で焚く香にも発展していきます。共にルーツはエジプトです。


美しい蓮(藤原京)

 すなわち後に仏教のシンボルとなる「蓮」も「香」もそのルーツはといえばエジプトなのです。そうした宗教的な必然から蓮も香炉もオリエント経由でインドに入り、やがて中国、朝鮮を経由して日本に入ります。

 このように、釈迦の教えとは別な流れの宗教思想が後に「仏教」の中に取り込まれ、渾然一体をなしたと思われます。そこに阿弥陀如来信仰が成立したと考えられます。

 今回の、青森県恐山に伝わるオシラさま信仰は、エジプトの死後の冥界を支配する「オシリス神」のラ行が訛り、「オシリスさま」→「オシラさま」に音韻転換したものと考えられます。共に夫婦神であり、冥界の支配者という点も極めてよく似ています。名前もそっくりです。


恐山境内の供養塔婆

 最近日本文化は縄文・弥生時代以来、ユダヤ文化、ヘブライ文化がルーツといわれますが、そうした流れは日本国歌の「君が代」が実は古代ヘブライ語で翻訳できるということ、「古事記」の神々が古代ヘブライ王たちの歴史と系譜に極めて似ているというヘブライ学者からの指摘を待つまでもなく、神社や出雲大社の祭殿遺跡はメソポタミアの神殿に極めて似てますから、そのルーツは分かるはずです。また諏訪大社の御柱は昔から由来不明な存在でしたが、エジプトのオベリスクそのものが石から木への、まさに日本独自の文化に転化したものといえると思います。諏訪大社の発行する書籍によりますと、御柱の歴史的由来はまったくわからないといいます。それは遠くエジプト文明に由来しているからではないかと私は昔から推測してきました。上部を尖らせ、神殿の前に建てられる点も似ています。


恐山境内

 青森県から関東にかけては、かつて縄文文化が栄えた場所であり、高度な文化、宗教が栄えました。恐山そのものは862年、貞観4年円仁により創建されたといわれ、現在は曹洞宗であるとともに、地蔵菩薩を祀るという統一性を欠いた、いわば庶民信仰により転換変転しているように思われます。しかし私は地蔵菩薩もエジプトの神官の姿そのものであり、そのルーツもエジプトと考えています。先進文化圏の青森にはさまざまな遠い文化が伝わっているようです。

 あらためて宗教そのものの目的を考えますと、それは死の恐怖におののく人たちに安楽な死を迎えさせることにありますから、阿弥陀如来は人々にとっては大切な存在ですし、親鸞、法然の教え、実践は極めて偉大であり、私は個人的には親鸞上人を尊敬しています。大変大きな意味を持つと思います。釈迦は宗教家というより、覚めた求道者、哲学者、思想家であり、真の人間の生きるべき道、姿を示した優れた人格者とみるべきであると最近ますますその思いを深めています。


親鸞上人像(西本願寺蔵)

 その反対が法然、親鸞の実践宗教活動です。当時、彼らは平安後期から鎌倉時代の文字も読めない農民などの社会底辺層の人たちの死への恐怖を希望に変換するとされた簡単な六字名号「南無阿弥陀仏」、ただひたすらこれを唱えれば、それは即、極楽浄土の盟主である阿弥陀様におすがりすることにより、極楽往生は間違いないと説いたのです。親鸞は比叡山で修行した僧のなかでも特に頭脳明晰な人でしたし、先の釈迦の言う死後の世界のことは分からないという話も当然知っていたに違いありません。故に親鸞は常に釈迦に反する自分の教えや性の問題から罪の意識を持ち、苦しみ苛まれたのです。しかし自らを愚禿という親鸞は、結婚という僧侶に禁じられた地獄に堕ちても自分を救ってくれた法然上人に感謝し、もはやここに至り自分の信じる道を行くしかないと考えるに至ったのではないでしょうか。


エジプト「死者の書」(右に座っているのがオシリス神)

 私はこうした「宗教家」としての親鸞の苦悩に昔から感動してきました。確かにお釈迦様が言われたように、死後の世界は分からない、自分親鸞も地獄、極楽が果たしてあるのかいくら勉強しても分からない、その分からないことを死に瀕した人たちに信じさせて、果たしてよいものだろうか?しかし「南無阿弥陀仏」と唱えて、極楽往生を信じ喜悦に満ちた表情で死んでゆく貧しい人たちを見ると、それは間違いではないのだ、と自分を納得させたに違いありません。「安楽な死」こそが宗教の最終目的であるからです。人間親鸞の苦悩こそがまさに彼の魅力といえます。


オシリス神(エジプト後期)

 恐山信仰、イタコの語る死者の言葉も、こうした信仰の意味から考えれば納得と救いを得られる宗教空間なのだと改めて気がつくのです。


オシラさま 著者が昔に見たイメージ像

 是非一度恐山を訪ねてみて下さい。色々な意味で素晴らしいところです。

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