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旅・つれづれなるままに

細矢 隆男

第5回 奈良・平城京跡に復元された遣唐使船に想う


奈良平城京跡に復元された遣唐使船

 平城京の柳の新芽が可愛く、浅黄緑がきれいです。かなり暖かくなりました。
 奈良に住みはじめてまだ半月にもなりません。今回は奈良の都を歩いてみました。

 柳が芽吹きはじめています。柳は古代から中国の専売特許のようなシンボルツリーです。平城京は中国の唐の都、長安をモデルとしたといわれます。柳も同様なのでしょう。

 歴史に登場する流麗な美女たちはよく柳に例えられます。日本からの遣唐使・阿倍仲麻呂の才能を愛した唐の玄宗皇帝は絶世の美女、楊貴妃を愛し、その楊一族を偏重したため不満が高まり結果「安祿山・史思明の乱」を招き、国を傾けました。まさに楊貴妃は傾城の美女といえましょう。


平城京に再現された朱雀門を背景に、美しく芽吹いた新芽の浅黄緑色がまぶしい。

 よく使う言葉に花柳、柳眉、柳腰、柳色などがありますが、いずれの言葉から受ける印象は、柳はか弱いけどかなり強い風にも折れずに身を保つイメージで、女性のかよわさと、したたかさを同時に感じます。柳は柏と同じように、生命力のある樹として大切にされたようです。5月5日の子供の日に柏餅を食べるのは、柏の生命力の強さにあやかる為です。かつての旧ドイツ軍に柏葉勲章がありましたが、なぜ柏かといいますと、柏は火に燃えても、また芽を出す生命力の強い不死身の樹なのです。不死身に活躍し、これからも不死身に活躍して欲しい軍人に与える勲章のマークには最適といえます。


ドイツ柏葉勲章(倣製品)

 また同じ理由から、これから強く生きて欲しい男児の前途を祝う柏餅なのです。ちなみに女の子は3歳、男の子は最初少し弱いため5歳を過ぎれば一安心の年齢になったとして祝ったようです。

 ものの本には、柳には素直、独身主義、捨てられた愛、愛の悲しみ、胸の悲しみ、素直、(シダレヤナギ)嘆き・悲しみ・哀悼・憂鬱・辛い悲しみ・捨てられたよわいイメージがありますが、はたしてどうでしょうか。


盛唐時代の白玉菩薩像
当時の美人の特徴は小太り気味の女性であったことのようです。

 初めて遣唐使船に乗ってみました。平城京遺跡の朱雀門が再現されてますが、その南の国道1号線沿いに船が復元されてるのを発見。早速探検してきました。


絵巻に残る遣唐使船の様子

 こんな小さな木造船に100人も乗って、風を頼りにどこに向かうかわからない船に、よくエリートたちは命を掛けて乗ったものです。やはり未知なる世界への探求心、学問、国のため、出世のために一命を賭したのでしょうね。いまでいう中型漁船くらいの大きさです。

 動力はもちろんなく、人力と帆が二本、日月と星と風を頼りに方向を決めていたのでしょうね。これでも当時としては、今でいうスペースシャトルという最先端の乗り物だったのでしょう。

 先ほど登場してもらった阿倍仲麻呂は大変な秀才で中国の秀才でもなかなか合格できない「科挙試験」に日本人として一人合格し、その才能を玄宗皇帝に愛され、なかなか日本への帰国を許されず有名な望郷の歌を歌いました。

「天の川 ふりさけみれば かすがなる 三笠の山に いでし月かも」
(つたない意訳です。日本からも見えるであろう天の川に輝くこの月は、きっとこの今、三笠の山(若草山)の麓の天皇のおられる東大寺をも照らしていることだろう。私を唐に使わしてくれた懐かしい聖武天皇はじめ、皆さんと早く帰国してお会いしたい。)


若草山にかかる月

 しかしやっと渋る玄宗皇帝から帰国の許しを得た阿倍仲麻呂の乗った遣唐使船の帰り船は嵐で遠く、今のベトナムあたりまで流され、彼は帰国をあきらめて中国で亡くなりました。

 みなさん、コロナ自粛が解除されましたら、奈良に来てください。そして遣唐使船に一度ぜひチャレンジ体験してみてください。できれば若草山にかかる月をながめてください。

 いま明日香は花盛りで、本当にきれいです。


菜の花の美しい、日本最古の仏像のある飛鳥寺近辺

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