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旅・つれづれなるままに

細矢 隆男

第37回 京都大原宝泉院


宝泉院観庭の間

 いま京都は紅葉が美しいです。私は奈良に住んでますが、この季節はやはり京都に足が向いてしまいます。特に写真が好きですから、嵯峨野や大原は特別な雰囲気を持っていて、最も好きなところです。

 大原は京都市内に野菜を売り歩く大原女(おはらめ)で有名で、新鮮な野菜や漬け物もおいしいところです。ここにはお団子や餅、湯葉料理もあったり、茶店のおうどんも寒い時など一休みしながら暖まれます。


たくさんあるお休み処

 歌にも歌われた「三千院」の阿弥陀三尊仏は平安時代の代表的な素晴らしい仏さまといえます。お庭の地蔵さまの石仏も可愛らしく、よく通いました。

 その三千院のすぐ奥に、鎌倉時代の後鳥羽上皇の御陵があります。ご存じのように、上皇は承久の乱で敗れ、隠岐の島に流されて、そこで亡くなりました。大原の陵墓は分骨された御陵ということになります。


後鳥羽上皇御陵

 私は高校三年生の頃から刀剣の勉強をしておりまして、後鳥羽上皇は大の刀剣好きな方で、菊のご紋を刀の中心(なかご、刀の持つ部分)に入れた太刀を鍛刀され、我々は「菊御作」として敬い拝見しました。さすがに天下の名刀として見事な出来で、当時の有名な刀鍛冶を毎月御番鍛冶として召して御造りになった太刀は、豪壮でありながら品格があり、鎌倉時代の名刀として大切にされてきました。そうした経緯もあり、かつて隠岐に旅して作刀した鍛冶場を探し当てて、想像の上皇の姿を追ったことも懐かしい思い出です。大原でもお参りすることができますから、なおさらこの大原が好きなのかもしれません。


紅葉の階段

 上皇御陵の前を更に降りて行きますと、勝林院に突き当たり、そこを川に沿って左に下り、またすぐを右に入りますと、そこが「宝泉院」です。大半の方は三千院で引き返しますが、ごく少数の方がこちらに足を運ばれます。

 一番奥に庭の季節の変化を楽しむ大広間があり、盤桓園(ばんかんえん、立ち去りがたい意)と称するお庭を拝見できます。またの名を額縁庭園とも言われ、額縁のような中に、大きな松が観る者を楽しませてくれます。右の庭園は竹林で左右趣が違います。


額縁庭園

 こちらの拝観料には抹茶が含まれていて良心的だと思います。お茶をいただきながら、ゆっくりお庭を拝見してますと、時の流れが止まったように感じます。また回りの天井を見上げますと、慶長五年関ヶ原合戦直前、徳川の忠臣・鳥居元忠以下数百名が豊臣方の大軍と戦い、善戦虚しく伏見城中で自刃しましたが、その武将たちの慰霊のために、自刃した折の血染めの床板を天井にして祀り、供養としています。三十三間堂の前にあります養源院もこの血染天井で有名です。ちなみに養源院には宗達の筆になる国宝の象の杉板襖絵が保存されていて、一見の価値があります。


右側の竹林の庭

 この宝泉院の歴史について少し述べます。

 大原の勝林院の塔頭の一つとして創建されました。『声明目録』を著すなど声明の大家として知られる宗快法印によって、鎌倉時代の嘉禎年間(1235年~1238年)に創建されました。

 一日は大原でゆっくりお茶を楽しみ、一日は嵯峨野の天龍寺から落柿舎、侘びたところでは「常寂光院」から「祇王寺」周辺の竹林、「化野念仏寺」あたりまでをのんびり歩くと良いでしょう。


静かになった広間に広がる樹影

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