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旅・つれづれなるままに

細矢 隆男

第34回 小豆島「二十四の瞳」教場


今に残る少ない明治時代の教場

 壺井栄の小豆島を舞台にした名作「二十四の瞳」は女性教師の眼からみた子供たちへの愛と戦争の悲しみ、虚しさを通して、改めて我々に生命の尊さとは何かを教えてくれる映画でした。

 私はこの映画をこどものころに観た記憶がありましたが、小学二年生ころのことでもあり、ストーリーにつきましてはあまり細かい覚えもないことから、改めて観てみようと思い、DVDを購入してきました。


遠くの灯台の灯

 小豆島は淡路島に次ぐ、瀬戸内海第二の島であり、写真好きな私には灯台の灯りや夕焼け、朝焼けの美しい光の変化が観られる貴重な島になりました。また旅の本連載でも扱いました「世界一狭い海峡」のある島として、さらに伝統的な醤油醸造所がある島としても有名です。

 本来、この島に来た最初の目的は、かねてから俳人・尾崎放哉の最期の地を訪ねるとともに墓参をしたかったからでした。一年半ほど前に、本連載で俳人尾崎放哉論(第17回小豆島 尾崎放哉記念館で思うこと)を書いて、その希望は満たされました。


最晩年の尾崎放哉

 夜明け前の美しい大海原や大自然の写真撮影も出来ました。さらにこの小豆島を訪ねた大きな成果もありました。それが今回の「二十四の瞳」教場訪問でした。


教場前の美しい海

 瀬戸内海の波打ち際の近くにある、「二十四の瞳」教場跡。その前に広がる美しく魅力ある海。木下恵介監督が撮影のために製作した映画用セットも残されていて、映画村として保存され、映画とともに楽しめる一大施設になっています。

 この教場の歴史を調べてみますと、明治35年(1902年)8月田浦尋常小学校として建築された木造平屋建校舎2教室と教員住宅が造られました。その後、明治43年から苗羽小学校田浦分校として、3教室を使用していましたが、昭和46年(1971年)3月廃校になりました。今はその後の姿も見ることができます。この映画を改めて拝見しますと、戦争の悲惨さと悲しみ、教育のあり方を中心人物である大石先生を通して考え、感じる映画であることがわかります。大石先生は生徒のいたずらから落とし穴に落ち、足をくじき近くの町の本校に転勤し、戦争が近くなると戦時教育を拒否して休職。戦後しばらくして復帰しますが、戦死した生徒は帰らず、悲しみにくれます。しかしかつての教え子たちの子供を教えるなど、信念に沿った真の教育に人生を捧げました。


映画「二十四の瞳」より

 私は写真撮影していて、その地方の人々の暮らしぶりや歴史を見てきた教場の朽ちてゆく校舎に魅力を感じます。


映画「二十四の瞳」より 自転車に乗り学校に通う大石先生

 ぜひ一度、ないしは再度この映画をご覧いただき、この教場の現地を訪れてみてください。フェリーの旅もまた良いものですし、夕食のお魚類にも満足しました。


エンジェルロード

教室の中の様子
映画で使用されたセットの教室。

※こちらをクリックしますと同じ著者によります「掌の骨董」にリンクできます。


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