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旅・つれづれなるままに

細矢 隆男

第43回 近松門左衛門作の「曽根崎心中」の舞台「お初天神」を訪ねる


お初天神の夜。色とりどりの提灯が美しい

 今年春、私は現在住んでます奈良から大阪梅田にでかけました。1年ぶりに4歳半のときから交流の始まった最も古い幼な友だちに会うためでした。

 東京生まれ東京育ち、3年前に奈良に移住するまで東京で過ごした私にとって「大阪」といいますと、やはり大阪弁、食い道楽、道頓堀の代名詞「巨大な動くカニ」や、これも巨大な「グリコ」の宣伝、織田作之助の名作「夫婦善哉」で有名になった法善寺横丁のしっとりと打ち水された道に料理屋の灯がゆらめく雰囲気のよい飲み屋街の路地、そして近松門左衛門の人形浄瑠璃の幾つかの心中物の作品、「曽根崎心中」や「心中天網島」が思い浮かびます。またキタ、ミナミという呼び名で名高い繁華街、飲食街もイメージに浮かびます。いずれにしましても「夜」にまつわる場所のイメージが強いです。


法善寺横丁の夜

 私は「写真の個展」以来、写真撮影も仕事としてまして、明るい昼よりは早朝か夜の雰囲気が好きで、今回も一番古い友と大阪の夜に会って食事し飲みました。

 最近の私はどちらかというと「スローライフ」といいますか、毎日電話し合うような「熱しやすく冷めやすいタイプ」の友より、年に一回程度「やあ!」とか「じゃあまた」みたいな、スローで長い、ゆっくりした気のおけない付き合い方がいいと思います。


赤提灯とネコ(法善寺横丁にて)

 梅田での夜となりますとやはりキタ、すなはち「曽根崎心中」のお初天神通り、露(つゆ)天神ということになりましょうか。

 私はいわゆる「酒呑み」ではありませんから、暗くなると遠くからでも分かる「赤提灯」に誘われるということはありません。

 今のお初天神通りは、すごく明るく、新しくて裏町の「侘しい」雰囲気は少しもありません。ドイツビアホール、焼き鳥、たこ焼き、ホルモン焼き、焼肉、寿司、一杯飲み屋、うどん屋など、大阪らしい店が軒を連ねますが、健全で明るい雰囲気です。

 「露(つゆ)天神(お初天神)」に何回か撮影に行きましたが、やはりさまざまな色合いの提灯の明かりがきれいに灯る夜のお初天神が好きです。昼間の観光客の多さとは雰囲気がガラリと違い、夜の方がやはり「近松門左衛門の世界」に合う感じです。


近松門左衛門像(自画像とされる)

 近松門左衛門が活躍した江戸中期の貞享時代から元禄時代は、文化的には安定期から爛熟期に移行する時期で、前回の「金印」のところでも述べましたように江戸経済が粗悪金貨への改鋳により崩壊し始める時期であり、文化も爛熟、退廃的な予兆漂う時代の空気を皆が呼吸していました。しかし身分制は厳然とありますが、反面芸能や絵画、特に浮世絵などの芸術分野では自由度を増していきました。

 しかし支配者である武家により、金銭を扱う商人の実力は政治的に恐れられ、士農工商と故意に身分制の最下位に落とされてはいましたが、実際は武士に次ぐ、というより経済的には武士を上回る力を蓄えつつある商人が数々出てきています。この時代、身分制もやや陰りを見せてきていましたが、心の中の自由さと、実際の因習とのギャップは未だに残る時代といえるでしょう。まさに武士でも将軍家に逆らう「忠臣蔵」の時代的雰囲気ともいえるものがありました。


露天神本社

 当時「露天神」は今と違い、広域な暗い森だったようで、世間のしがらみや、主人との力関係、束縛、しきたりから恋を成就できない遊女お初と商家の手代徳兵衛がその森で心中をとげ、来世で添い遂げようとする事件があり、近松門左衛門はそれを題材に「曽根崎心中」を書き、世話物浄瑠璃として爆発的な人気を得ました。

 「曽根崎心中」は1703年(元禄16年)竹本座初演の人形浄瑠璃・文楽で大人気となり、後に歌舞伎の演目にもなりました。相愛の若い男女が、世間の「しがらみ」のために行き場を失い、心中するという悲恋の物語です。


露天神の境内にある心中した二人のブロンズ像

 「此の世のなごり。夜もなごり。死に行く身をたとふれば、あだしが原(あの世・著者注)の道の霜」で始まる道行の最後の段は「未来成仏うたがひなき恋の手本となりにけり」と結ばれ、お初と徳兵衛が、死をかけて自由なる恋、至高の恋を貫いた、美しい人間愛と同時に死という「悲劇」が描かれています。もちろんそこには二人に対する同情もあるでしょう。同情とは同じ悩み、共感、体験、あるいは願望をもっている感情ともいえます。お初徳兵衛二人の時代は主人、店のしきたり、決まりに背くことは、現実生活からの「追放・死」を意味し、ギリギリに追い込まれてのやむ無き「心中」という同情すべき「死」に追い込まれたということです。死はイメージとしては甘美であるとともに、近松のことば「未来成仏うたがひなき」にあるように、当時の「阿弥陀信仰」への強い傾斜も見られます。作品が公開された当時の人気は空前絶後のすごいものだったと記録されていますが、それは民衆側からの「身分制度・社会秩序」への密かな反発、レジスタンスであったに違いないからです。来世での安住、死への甘美さへの憧れ、当時恋を全うできない、そういう切実な想いの男女がたくさんいたということでしょう。そうした時代性を先取りし、文学に高めた近松門左衛門の時代を観る眼の確かさ、筆力に感心します。


境内の二人をイメージした古い「道祖神」

ギリシャの哲人アリストテレスがいうように「悲劇は人間の心を浄化する」という言葉そのままに、「悲劇を共有」し、また魂の浄化の洗礼を受けたいために観客が押し寄せたとも考えられます。もちろん「流行り」ですから、興味から観てみたい人たちもいたことでしょうが、やはり観に行く者の心の中に「身につまされる」想いがどこかにあるからこそ、評判が評判を生み爆発的な人気を得たことは確かです。


現代の「愛の成就絵馬」

 現代の日本には身分制はありませんし、自由は保証され、恋愛も結婚も、また職業も自由であり、辞職も転職も自由です。離婚と金銭貸借だけ相手の同意と契約が必要で、制約が発生します。ですから、世を騒がす心中は作家太宰治以来あまり聞きませんし、来世を信じる人たちも昔よりはるかに少なくなっていることも確かです。割り切って現実的、現世的に一度きりの人生を楽しむ、謳歌する風潮はますます強くなって来ています。しかし、自由度が増すと責任は個々人に帰芻し、詐欺にあったり、財産を取られたり失敗する不安、警戒心が首をもたげてきます。決まりには「権利と義務」が発生することを忘れがちです。また自由過ぎることもさまざまな弊害になり、不安や自殺指向につながることが現代の風潮となりつつあります。歳をとればとるほど、将来への不安が増す傾向は強くなります。


お初天神通り

 戦後のベビーブームの世代が「後期高齢者」という役人的な仕分けのレッテルを貼られ、いつの時代にでも終末期の介護や「長生き」しすぎることへの不安に考えを馳せるとき、自身が「老残の身」を晒すことに耐えられない人々の気持ち、プライド、不安が「心中」や「自裁」への潔さに対する「羨ましさ」の背後にあるように思えます。

 こうして、お初天神を詣でますと、改めて学生時代に、桐竹紋十郎の人形遣いと竹本義太夫の語りと文楽三味線の迫力ある根太い音色に惚れて、皇居前の国立劇場に通った懐かしい近松門左衛門の「曽根崎心中」、「心中天網島」を読み直してみたい思いに駆られます。学生当時とそれこそ「後期高齢者」の今とでは、当然読み方が違ってくると思います。

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