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旅・つれづれなるままに

細矢 隆男

第22回 東大寺大仏殿・御身拭い


巨大な仏像の頭の上から足まで丁寧に埃を落とす。

 奈良東大寺といえば大仏殿がまず頭に浮かびます。聖武天皇の勅願の大寺として建造されました。

 もともとこの寺の始まりは、聖武天皇、藤原不比等の娘である光明子(のちの光明皇后)との間にできた世継の男子、基(もとい)皇子が生まれてすぐに亡くなったため(正式な名前もついていなかったともいわれています。)、天皇夫妻は大変嘆かれて、基の皇子の菩提を弔うために現在の東大寺の地に寺を建て、供養僧を住まわせて菩提を弔ったこととされています。


大仏の頭部のチリをはらう。

 聖武天皇は仏教に大変熱心で、日本に仏教が伝来した西暦552年(日本書紀による。現在は538年とされている)からちょうど数えて間もなく200年を迎えることに気が付かれました。そこで大々的な記念事業に手を付けようとお考えになり、中国北魏王朝の雲崗石仏や大同石仏に倣うとともに、世界のどこにもない青銅製の大廬舎那仏を作ることを決意されました。当初、天皇は信楽宮を造営されようとされていて、大仏殿も信楽に建造される予定でしたが、火災や不吉なことが重なり、奈良の平城京に作ることになりました。

 そこで生まれてまもなく亡くなった将来の天皇の後継ぎとして期待していた基皇子のお寺を大きくして、そこに国家鎮護の大廬舎那仏を仏教伝来200年の一大記念イベントとして造営しようと考えられたのでした。大唐帝国の石仏と同じ大きさで、さらに日本国中の銅がなくなったといわれる大工事であり、青銅製ですから、大唐帝国を凌ぐ巨大な大仏となること必定です。気宇壮大というか、破格な聖武天皇の仏教と基皇子への思いを何とか成就したいとお考えだったのでしょう。突貫工事でもやっとの難工事でしたが何とか仏教伝来200年イベントに間に合い、大事な大仏に目を入れる開眼供養に聖武太上天皇ご夫妻もその筆に連なることができました。最終的にこの大事業を完成させたのは聖武夫妻の娘の孝謙天皇、後の称徳天皇でした。


大仏殿

 それ以後戦乱の火災で大仏殿は2度消失して再建されてきました。最初の大仏殿の大きさは現在より約20%大きく、総容量から換算すると今の2倍の容積があったのではないかと推測されるほどの巨大な大仏殿だったようです。

 屋根瓦だけでも総重量1500トンといわれ、それを支える主柱は大仏様の鎮座する真ん中には立てられず、屋根の総重量を中心で受けることができないため、左右前後に分散して作り上げたという、信じられない技術が駆使されました。コンピューターの無い時代にどのようにして設計されたかは、まったく分かりませんが、宮大工の経験で設計されたことは間違いありません。


創建以来の蓮弁をふく

 当時を偲ぶ遺構は大半焼け落ち、大仏の台座にあります連弁のみが創建当時の遺物とされています。現在でも拝観はできます。できた当時の大仏様のお姿は、信貴山縁起絵巻とこの連弁に描かれるお姿に残る様子から推測するしかできませんが、唐様式を残す腰の細めの大仏様で、お顔はかなり今より丸くかったようです。

 現在の大仏様は江戸時代の初め、三度目の鋳造再建として建立されたもので、最初の大仏様とはお顔のイメージはだいぶ違うようです。

 さて東大寺大仏さまのお身拭い(だいぶつさまおみぬぐい)は、現在のようにきちんと実施されるようになったのは1964年(昭和39年)からで例年8月7日に行われるようになりました。もちろん大仏さまお身拭いは以前から行われていましたが、その回数は定かではなく、住職の任期中に一度行われる程度であったようです。まあ創建当時から塵を落とすことは当然必要ですから、実施されていたことは間違いありません。


回廊に置かれた模型の塵を払う。

 現在の大仏さまお身拭いでは先ず僧侶や関係者が早朝二月堂(国宝)の湯屋で身を清め、白装束・藁草履姿に着替えます。その後7:00から大仏さまの魂を抜く撥遣(はっけん)の儀式が行われ、全員で読経後に大仏さまお身拭いや周辺の清掃が行われます。私も写真撮影にお邪魔しました。

午前7時30分から「お身拭い」が行われます。まず最初は頭のてっぺんから塵を落とします。そして次第に下へと降りてきます。大仏様の頭部の螺髪部分から掃除します。しばらくしますと大仏殿ははたかれた、コロナでお休みした三年分のチリで満ち溢れます。現在はコロナ対策で皆さんマスクされていますから、ちょうどよかったと思います。


大仏様の頭をきれいにする

 天井から吊るされた、東、中、西と大きく文字の書かれた籠に乗った3人の僧が顔から胸、腰の部分を箒とはたきで丁寧に掃除してゆきます。埃の落ち切った頃を見計らって脚の部分の掃除が行われ、さらに連弁部分の清掃が丁寧に行われます。大仏殿の壁際に置かれた様々な模型の掃除も丁寧に刷毛で行われました。こうして午前9時半に「お身拭い」は無事に終了しました。


お顔から首に移る

見ているだけでも暑い季節ですから、熱のこもった大仏上で掃除されたお坊さんたちはそれこそ塵にまみれて大変だったと思います。
お疲れさまでした。


奈良公園の雄鹿

年に一度の季節行事ですから、来年は是非ご覧いただけますと、興味もさらに深まると思います。

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