文化講座
第16回 日本人の心のふるさと・備前長船刀剣博物館
備前長船刀剣博物館のエントランス
私が高校三年生の時に、東京国立博物館で日本刀に魅せられて以来、受験勉強そっちのけで刀の勉強に打ち込んだのは、いまとなりましては懐かしい思い出です。当然大学受験は失敗続きで、二浪目に入り、これはいかんと奮起してやっと危機を脱しましたが、刀剣への熱意は止まず、個人的には「刀剣春秋新聞社」や「百刀会」を主宰されていました飯田一雄先生に師事し、東京代々木にありました、日本刀剣博物館の鑑定会に通うなど、大学後半に至るまで続きました。その後、平成8年に「日本骨董学院」を設立以来、飯田先生、刀剣研磨の第一人者の三品謙次先生に講師をお願いしております。
備前長船刀剣博物館展示室
武器としての日本刀の何がそんなに私を惹き付けたかと考えれば、高校三年の時に参加した東京阿佐ヶ谷の個人的な鑑定会で鑑定刀に出ました「守家」と銘の入る太刀を観せていただいたときからでした(古備前畠田守家)。白熱電球にすかして観た刃文の中の変化に感嘆の声を発しました。「うわー、すごい。この美しさはすばらしい!!」そんな感じでした。私が予想だにしなかった備前古刀の美に初めて触れ、感動した瞬間でした。
国宝・備前刀の最高峰、太刀「山鳥毛(さんちょうもう)」の展示会のパンフレット
日本刀が世界で称賛される最大の評価は「切れ味」のようにいわれますが、もちろん切れ味も姿も抜群ですが、私はこの切れ味の良い、鍛えに鍛えた和鉄に焼を入れた瞬間に出来るものすごい美への変化、刃文とその中の変化、刀剣界では「働き」といいますが、わたしが守家刀に観ましたいわゆる金線、映り、朝日に輝く雲の端の「いわた」という素晴らしい輝きにも似た世界、何と美しい世界があるものだろうか、これこそが世界に類を見ない「日本刀」の素晴らしさであり、日本史に登場する歴代の名将たちに愛された名刀を備前は平安時代後期から戦乱の鎌倉時代、戦国時代に立て続けに世に出しました。世界で日本人のみが武器を美術品に変えた繊細かつ大胆な美の伝統そのものを作り上げたのです。
私はこの体験から、日本人の感性や技術の高さを誇りに思うようになりました。それが日本美術は世界一であるという認識へと導いてくれました。刀剣は勿論、浮世絵、焼き物(伊万里焼、清水焼、九谷焼、薩摩焼、真葛香山、服部杏圃など)、他工芸品など。その意識が勉強する意欲のすべての原点であり続けてきています。
展示室 刀の製作法なども詳細に展示
こちらの備前長船刀剣博物館には初心者にも刀のすべてが解るように展示に工夫が凝らされています。さらに親切なことに、昔は一切門外不出の刀剣鍛錬技術でしたが、現在は博物館内に刀剣鍛錬場があり、実際に毎日製作現場を見学できるのですから、素晴らしいです。至れり尽くせりの博物館で、私の高校時代の博物館とは隔世の感があり、やはり本場を感じます。
古式に則った鍛錬・火花が美しい。昔は三人の相槌で打ち上げました。火花がたくさん出ているのは、最初に鍛える玉鋼に不純物が沢山入っているため、それを飛ばし出して、より純度の高い鉄にし、更に折り返した鍛錬により、美しくて強く、粘りある強靭な鉄が完成します。完成した鉄は叩いても火花は散りません。
火と鉄の技術は、一般的には「たたら製鉄」として日本には弥生時代ころに遠くトルコやスキタイあたりから中国、朝鮮経由で入ってきたようですが、その製鉄の技術の伝播について、NHKが「アイアンロード・知られざる古代文明の道」と題して特集を放映してましたから、関心のある方はアーカイブスからご覧いただければと思います。
炭と「ふいご」の大量の酸素で鉄を高温にして鍛錬する。
しかし日本人の祖先はそうした鉄を平安時代という素晴らしい美意識の時代を経ることにより、飛躍的な美に発展させるずば抜けた発想と工夫ができたことにわたしは驚きを禁じ得ません。鉄を鍛えて焼きを入れるまでは、多くの国々でもやってきています。更に素晴らしいのは、真ん中に柔らか目の鉄を入れて、外側を何十回も折り返した鍛え抜いた固い純鉄で囲い、それを素延して、よく切れて折れにくい刀にしてゆき、更に外国にはない、刃文を入れる土置きの発想と五ヶ伝(相州伝・美濃伝・山城伝・大和伝・備前伝)という流派を確立し、互いに技術を競い合ったことの上に、更に鎌倉時代から戦国時代の需要が重なり、高度に洗練された刀剣の美の歴史が形成されました。まさに日本人独特の優れた感性と技術の結晶が美を飛躍的に進化させたといえます。
私はこちらの博物館で、安藤祐介(刀匠名・広康)さんの鍛錬の中に、そうした歴史ある伝統の一端を見せていただきました。
今は機械で一人で合理的に制作できるようになりました。(安藤刀匠)
またこちらの長船地区には刀鍛冶の歴史を物語る遺跡も多く、私は鎌倉時代の時宗(じしゅう)の開祖、一遍上人を敬愛してますから、彼が布教活動をした京都から岡山、四国の遺跡を訪ねていますが、長船からは少し離れた備前福岡の市での布教活動が一番有名で、「国宝・一遍上人絵伝」にその様子が描かれてます。
「一遍上人絵伝・福岡の市」の様子。布教活動する黒服の一遍上人の姿が左中央に見える。市の様子に人々の生き生きとした日常生活の息吹きが感じられる名画。
福岡の市跡と思われる場所に立つ碑
私は日本骨董学院の会員さんたちと何回もその地を訪れました。その近くに備前福岡一文字刀工の作刀場跡があり、それを記念した碑があり、よく一緒に見学しました。
福岡一文字造剣之地碑
また長船刀工の発祥の地の石碑や長船刀工の菩提寺とされる慈眼院もあり、横山上野大掾祐定の墓や横山元之進祐定が寄進した梵鐘が残っていて、当時の繁栄振りが解ります。歴史好きな方には福岡地区の妙興寺には宇喜多家や秀吉の参謀の黒田如水(黒田長政の父)一族の古びた墓群があり、またさらに美術への関心が高い方には、伊部地区の六古窯という、古く須恵器の伝統を継いでいる備前焼きもあり、興味の尽きない地域です。まさに日本文化・美術の原点・中心地、心のふるさとともいうべき岡山県です。
関連地図
ぜひ現地を楽しみください。
著者所蔵の幕末の名工・源清麿刀より
備前長船刀剣博物館・
〒701-4271 岡山県瀬戸内市長船町長船966
開館時間・9時から終了17時
電話0869-66-7767
※備前長船刀剣博物館の公式HPはこちらです。
https://www.city.setouchi.lg.jp/site/token/
●備前長船刀剣博物館の全面的なご協力をいただき、写真・資料を掲載させていただき、心より感謝申し上げます。
※こちらをクリックされますと、同じ著者によります「掌の骨董」にリンクできます。なお、53回目に備前國住長船与三左衞門尉祐定の鎧通につきまして掲載してありますから、是非併せてお読みください。73回には備前焼きについても書いてありますから、こちらもご興味がありましたら是非ご一読をお勧めいたします。