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旅・つれづれなるままに

細矢 隆男

第10回 奈良・写真家 入江泰吉旧居(奈良市水門町49の2)


「自宅玄関で鹿に親しむ入江泰吉さん」(写真提供©入江泰吉記念 奈良市写真美術館)

 私は大半を東京で過ごし、今年の2月末に奈良に移住しました。今回ご紹介の写真家・入江泰吉さん(1905年~1992年)は奈良で生まれ育ち、大阪でお仕事され、文楽の写真撮影で有名になられましたが、大阪大空襲ですべてを失われ、生まれ故郷に戻られて、奈良の風景、いわゆる「大和路の風景」と古寺に伝わる古美術品、特に仏像の撮影に力を入れられました。現在の奈良は近代化の波に大きく変貌を遂げてきてはいますが、まだまだ古きよき面影を至るところに残しています。


入江泰吉さんの旧居
入口

 私は前回の連載で、薬師寺の三重塔を大池を隔てて大雨以外のほぼ毎日日の出前に出かけ、創建以来1341年間、大自然に抱かれた三重塔を撮影しています。私が指導を仰いでいる田付潤之朗先生は、入江泰吉さんのお弟子さんである矢野建彦さんのそのまたお弟子さんなのです。よき正統な先生にめぐり会えて良かったと思います。

 自分が感動した作品のみを扱い、研究することは私が長く携わった古美術品研究の要ですが、写真も同じだと田付先生はいわれます。感動して、信念を持って撮影した作品には力、エネルギーがあると先生はいいます。確かに古き良き風景、そこにいにしえ人の歴史や物語が投影されているなら、なおさら時を超えた共感や人間としての喜怒哀楽、特に悲劇に心が傾きます。なぜならギリシャの思想家アリストテレスは「悲劇は人間の心を浄化する」といっているからです。素晴らしい言葉です。歴史や文学は時代を隔てても、人間である以上、同じ想いを共に体験することができます。歴史の教訓、醍醐味とロマン、共感はそこにあるように思います。


大津皇子墓所とされる二上山遠望

 私が今回ご紹介する入江泰吉さんの旧居の居間の本棚には歴史書、美術書、美術研究書がたくさん収蔵されています。入江さんに親近感を抱いたのは、彼が古代史に登場する悲劇の皇子、大津皇子(おおつのみこ、663年~686年)の埋葬地である二上山(にじょうざん)を撮影した折のエピソードを読んだ時でした。薬師寺を創建した天武天皇の才能をよく引き継いだ大津皇子は天智天皇の生んだ娘の一人、大田皇女を母に持ち、天武の後継者と誰もが思うほどの優れた青年でした。しかし天武の皇后、後の持統天皇は自分の生んだ幼い草壁皇子を天皇にしたいため、天武亡き後、すぐにその権力で、有能な大津皇子を危険視し、謀略にかけ反逆者に仕立て自害に追い込みました。大津皇子24歳でした。無念の怨みを抱いた皇子の霊を写真に表現するため、入江さんは赤く空が焼けるのを何日も通い、この色だと感じた時に初めてシャッターを切ったといいます。この話を読んで、私は感動しました。大和路を撮影するということは、ただシャッターを切るだけではダメで、その歴史背景をそこに投入することだと知ったのは入江さんの蔵書に梅原猛さんの著作がたくさんあったことから理解できました。梅原猛さんは歴史学者ですが、ある意味文学者でもあり、独自の古代史観をお持ちでした。いわゆる怨霊からの日本古代史解明を試みた方でした。梅原さんはニーチェ哲学から仏教哲学に関心を持たれ、さらに古代史を徹底して研究されました。私は若いとき、梅原さんの「黄泉の王・私見高松塚」や「隠された十字架・法隆寺論」「水底の歌・柿本人麿論」を読んで深く感銘を受けました。入江さんの歴史の基礎研究はこの梅原猛さんの著作による影響が大きいと私は思いました。


入江さんの書斎

眺めの良い入江さんのアトリエ

 しかし入江さんは一方の写真の旗頭の土門拳さんがリアリズムからスタートしたのと違い、早くから日本古来の伝統芸術に眼を向けられ、独自の世界を撮影された点で独創的な美術写真の大家といえます。今までにない文楽の写真で賞をとられ、以後歴史を舞台に古美術、仏像、大和路、万葉集の花などをテーマに膨大な写真を残されました。その大半の作品は新薬師寺近くの奈良市高畑町600の1の「入江泰吉記念 奈良市写真美術館」に所蔵されています。こちらもお時間があれば是非訪問して、入江さんの作品を鑑賞していただきたいと思います。


「入江泰吉記念 奈良市写真美術館」

 さて入江さんの旧居についてですが、場所は奈良市水門町49の2で、東大寺ならびに戒壇院のすぐ近くです。東大寺戒壇院は日本仏教においてもっとも重要な場所で、そこで僧侶になるために必要な「戒」を与えられます。日本仏教の普及に熱心な聖武天皇は、当時日本に「伝戒の師」がいないため「戒」を与えることのできる有名な大師を中国から招きたいと考えられ、遣唐使船で招聘しようとされました。そこで白羽の矢が立ったのが鑑真様でした。鑑真さんのすごいところは、進んで日本に行くことを即座に決心し、遣唐使船で五回の遭難の末に六度目にやっと日本にたどり着いたときには度重なる心労から失明されていたほどでした。しかし聖武天皇の期待通りに日本の仏教発展に多大な貢献をされ、そのお寺と墓所は唐招提寺にあります。まさに信念の人です。私は毎朝、薬師寺大池に通う時に阿倍内親王(孝謙天皇・称徳天皇)と鑑真さんの墓所の横を通りますから、心の中で手を合わせ、ご挨拶してます。


鑑真遣唐使船絵巻物

 水門町はそんな戒壇院に近い鹿も歩き回る区域にあり、落ち着いた和風建築の素晴らしいお宅です。入江さんの好んだ欅の大木が書斎や居間から眺められます。もみじにも囲まれ、紅葉も楽しまれたことでしょう。趣味の篆刻(てんこく・落款などの印鑑を彫ること)も楽しまれたようです。代表作品の「大和路遍歴」や「万葉大和路」など数多くの作品集の構想や文筆にいそしまれました。

 是非一度足を運んでみてください。(入場料・200円)


入江さんの書斎の本棚

大きな欅の木の見える応接間

協力・本記事作成および写真撮影にあたり、入江泰吉旧居ならびに入江泰吉記念 奈良市写真美術館の全面的ご協力をいただきましたこと、心より感謝申しあげます。(著者 細矢)

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