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旅・つれづれなるままに

細矢 隆男

第35回 フランス・スペイン国境に近い「カルカソンヌ『コンタル古城』」


カルカソンヌ「コンタル古城」

 私は、小学校四年生のころ、昆虫採集に東京練馬区にあります石神井公園によく行きましたが、そこに「石神井城跡」を見つけまして、鎌倉時代中期13世紀から14世紀ころの、東京の豊島区の名前の由来である豊島一族の城跡と確認して、驚いた思い出があります。それ以来日本から世界の歴史、古美術を愛し学んでます。


名画「蜘蛛巣城」のポスター

 また同じころ黒沢明監督の名作「蜘蛛巣城」を観て感動しましたので、大袈裟ではなく、古い歴史ある美しいもの、古い当時のまま残された遺跡や美術品、当時の人々が書いた文学作品に限りない愛惜の情を感じるようになりました。まさに芭蕉が憧れたような「兵どもが夢のあと」が好きになりました。


一番古い城郭とされる「コンタル古城」の城壁

 今回は10年前ではありますが、かねてから訪問したかった、スペイン国境に近いフランスの古城、ほぼ中世の城の全容がそのまま残るカルカソンヌ古城を訪ねました。是非地図で探してみてください。ワインのボルドーの反対側、地中海側に近いところにあります。


かつて城への物資搬入のために掘られた運河に浮かぶ美しい船

 私はロワール川周辺のシャンボールのような華麗な城には興味なく、荒々しい古い歴史ある城、本来の国を守る最前線の古城がすきです。

 パリから、日本の新幹線に馴れた私には考えられない時間や出発ホームの変更が頻繁にある、いい加減で不規則なTGV(フランス新幹線)と在来線を乗り継ぎ、なんとかはるばるスペイン国境に近い、高校の地理の時間にしか聞いたことのないピレネー山脈山麓のカルカソンヌにやって来ました。


城郭の内部にあるホテルの部屋から観る城壁

 ホテルもその古城の中に自然に溶け合って、城の一部のような、なかなか良い雰囲気です。このホテルに三日間宿泊して、この城の隅から隅まで見学しました。


騎士たちが戦闘訓練や閲兵式をしたと思われる石畳の城内の広場

 特にこの城の大きく堅固な石を積み上げた城壁や内外の石畳に感動しました。この石畳を甲冑に身を固めた騎士達が騎馬で走り回った姿は中世世界の「騎士道」や美術史におけるロマネスク様式を想起させます。

 カルカソンヌの歴史を少し紐解きましょう。
 スペインとの国境に近いフランス南西部、この地方はローマ時代からガリアと呼ばれた未開の地域で、英雄シーザーが遠征したことから交易の要衝として重要視されてきました。更にボルドーにいたるこの街道筋はぶどう畑が広がるワインの一大生産地としてもカルカソンヌを有名にしました。

 ピレネー山脈から流れ出る豊かな水がワインと水運を発達させ、地中海と大西洋を結ぶ交通と交易、軍事の要衝となり、紀元前3世紀には砦が造られ、その後ローマ人が城塞都市を建設したことが、最初のカルカソンヌに城を作る遠縁になったようです。その後いくたびか台頭したイスラムと勢力との戦いを経た後に、13世紀にフランス王ルイ9世が更に二重に城壁を張り巡らせ、難攻不落の堅固な城としました。その時の内側の古い創建時の城郭を「コンタル古城」というようです。


街中から観たカルカソンヌ城の全貌

 17世紀にスペインとの平和条約が結ばれると、この大きな城は無用となり荒廃しました。荒れ始めた城は19世紀に復元され、総延長3kmの、かつて二重の城壁に囲まれたヨーロッパ最大級の城塞都市の姿が蘇り、今や観光的には重要な「資源」に変貌しました。

 世界文化遺産にも指定され、海外からの観光客は絶えないようですが、まだまだ素晴らしい割に知名度は今一のようです。私が滞在してる時に、日本からこの城だけ訪れるために来られた方にお会いしました。どうしてもこの城に来てみたかったようで、会社員の方で、驚いたことに土日と有給一日をもらい往復で2日、滞在一日という強行軍で来られたと言われました。そのくらい熱心な方もおられるのです。驚きました。しかしそれは正解で、「鉄は熱いうちに打て」の例え通り、人生は何でもやりたい時、やれる時に実行しないと、永遠に実行出来なくなる時があります。即実行はすべてに渡り成功の秘訣です。私の今回の旅も同じで、コロナ前に35日間、ヨーロッパの行き残した場所をすべて廻り、将来後悔しないための旅をすることができました。事実その後、コロナ蔓延のため豪華クルーズ船による世界一周船旅など旅する夢を断念された方々はたくさんおられます。私は講師として、美術のお話をしながら豪華クルーズ船で2度航海し、ウクライナのオデッサやヤルタに寄港、観光しました。コロナのあとはウクライナ戦争で世界はキナ臭くなり、旅行は難しくなりました。


堅固で美しい城門

 さてこの城は長く籠城できるように、いくつかの広場には井戸は必ずあり、今は電動ポンプで汲み上げ、食料倉庫も至るところが倉庫に使えるように工夫されています。見るからにも数年籠城できるの堅固で高い要塞であり、しかも遠くから眺めても大きく美しい姿は堂々たる威容を誇り、難攻不落、敵の戦意を削いで来たのでしょう。それ故に今までその姿を残してこれたといえます。


合理的で美しい城郭

 本当に日本からは真裏に近い遠いお城でした。次回はこの続きで訪れましたオーベール・シュル・オワーズの「ゴッホ兄弟の墓」とゴッホ最晩年の名画誕生の地を取り上げたいと思います。

※こちらをクリックしますと同じ著者によります「掌の骨董・第105回目」にリンクできます。


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