文化講座
第70回 「連載の1・青森を旅する・八戸」ヘブライ民謡と伝イエス・キリストの墓を訪ねて

八戸市埋蔵文化センター「是川縄文館」

是川縄文館の至宝 国宝「合掌土偶」
今から60年近い昔、1967年に、ユダヤ人牧師のマーヴィン・トーケイア師が布教のために来日し、日本の中のユダヤ文化の余香、名残に気付き、驚きのあまり、猛烈に調査されて一冊の本を書き上げました。その記念すべき本「日本・ユダヤ、封印の古代史」と、それに続く連作の中で、日本で日常的に使われている「言葉」や「用語」、たとえば相撲(すもう・ヘブライ語では「格闘をシュモー」という)の「ハッケヨイ、ノコッタ」は日本語としては「掛け声」としてしか意味は分かりませんが、「ヘブライ語」に訳すと「かかれ、倒せ」のような意味とされます。もともと「相撲」はヘブライの神事、豊作占いから始まったとされる「神事」とされます。今では日本の「国技」である「相撲」となるまでに変化、発展しましたが、歴史的にはユダヤ伝来の「神道」においての神に捧げる行事から、今の「相撲」に変化して行ったようなのです。
またトーケイア師は日本語の中にはヘブライ語、その発音そのものと類似した「地名」がたくさんあること、さらに京都の祇園山鉾祭りや神事、山伏の姿における類似性に気付き、そこからユダヤ、ヘブライ文化と日本文化との関わり、類似を多方面に研究されました。今やその流れはさらに加速され、より深く世界各地で研究され、類書は数限りなく発刊され、日本文化とヘブライ文化がかなり近づいてきているように感じます。
「退官」された名のある国立大学の学者までもが、あたかも自分が「発見」したかのように、日本文化の源流は「ユダヤ・ヘブライ文化」なのではないかと主張し、本まで出すに至りました。学者であれば、トーケイア師が日本に来なければずっと気が付かないままであったであろう「ヘブライ」と日本との関係のことを考えるなら、当然にトーケイア師にきちんと敬意を払うべきだと私は思うのです。
さて、日本の「縄文文化」、特に「16500年の世界最古の歴史」誇る「縄文土器と文化」が残した精神性と彼らの「土器と漆の美」は最近急速に世界で評価され、その後の世界四大文明(大半が6000年ほどの歴史はあるが、縄文との年代差は依然約1万年以上もある)として、メソポタミア、エジプト、ギリシャ、黄河の各文明のルーツこそが、1万年以上も歴史の古い日本にこそあるのではないのか?と、これまでの「逆ルート」さえ考える研究者が出てきました。それを証明するかのように、土器だけではなく、「漆」の最も古い誕生地はこれまで中国と考えられてきましたが、最近では公正を期するため、アメリカでの放射性炭素年代測定を実施したところ9000年前の縄文時代の北海道垣の島B遺跡発掘品の漆製品が世界最古と認定されました。そのためそれまで世界最古とされてきた中国の河姆渡(かぼと)遺跡出土の漆製品は7000年前で、縄文漆とは約2000年の開きがあることが判明しました。2000年の差というのは、考えてみれば、おおよそキリストの誕生から我々の生きてるこの現代までの年代差なのです。なんと長い年代差であることでしょうか。
私は「古美術研究」の立場から、この「愛知共済インターネット講座」の場を借りて、エジプトやメソポタミアの美術と日本の縄文文化との類似性を、トーケイアさんに刺激され、かねてからエジプト文明を介してさまざまな指摘をして来ました。
今回のお話も、ずっと以前からお話ししてます「ヘブライ・日本類似言語」の一環のものです。
青森県は日本の「縄文文化圏」の中心をなす県で、世界最古の土器の歴史を有し、太古からの、日本の最重要文化圏を形成してます。
今回はその文化とは何なのか、その一つにスポットを当ててみましょう。

八戸の港

イカ釣り船
現在、青森県八戸市を中心に、地名としては一戸から九戸までが点在してますが、この真ん中にあるはずの「四戸」だけが地図上に見当たりません。調べてみますと、かつて「四戸」を治めていた豪族(櫛引氏)が戦国時代の抗争で滅び、四戸の領地が、いくつかに分割割譲されて地名が自然消滅してしまったためというのが、どうやら理由のようなのです。また、十戸が「十和田」になったという説もあります。
その一戸から九戸あたりの民謡に、古くから伝わる「ナニャドヤラ」という、風変わりな名称の民謡があります。その言葉そのままのように、歌詞の意味、日本語では全くと言ってよいほど、さっぱりわからないので、さまざまな説が提言されてきましたが、どれもその不可解な歌詞を解明するまでには至りませんでした。
そこで私はいくつかの研究書をしらべたり、インターネットで検索しました。それらによると「ナニャドヤラ」の発音を「ナギャドヤラ」として、ヘブライ語で読んでみると、一変して意味のある言葉を有する歌謡に様変わりするようなのです。
その重要な研究書の一連の書籍、ヘブライ文化研究家、川守田英二著の「日本ヘブル(ヘブライ・著者注)詩歌の研究」及び「日本の中のユダヤ」の研究は高く評価されています。これらの研究を通して、その「意味不明」な青森民謡が大きく取り上げられているのです。そこでは、いかにしてヘブライ語ルーツの詩が、古代において日本民謡に姿を変えて土着したかが解説され、実際、ヘブライ語で書かれた日本民謡の歌詞や囃子言葉があることを複数の事例をもって紹介されています。その内の一例が、この「ナギャドヤラ」なのです。

八戸に近い「鮫角灯台」(さめかどとうだい)。青森県八戸市(種差海岸)にある日本の灯台50選にも選ばれた白亜の美しい灯台。
その歌詞は、日本語としては、まったく意味不明ですが、川守田先生の著作から引用させていただきますと、およそ以下のようにまとめることができるようです。
「ナニャドナサレテ ナニャドヤラ ナニャドヤラヨー ナニャドナサレテ サーエ ナニャドヤラヨー」
「ナギャドナサレテ」とは「ナザレの救い主」
「ナギャドヤラ」は今日、「ナニャドヤラ」として知られており、実際に唄われる際には、「ナニャドヤラ」と発音されています。これは「ナギャドヤラ」が時を経て「ナニャドヤラ」に訛って変化したと推測されます。そこで原文と考えられる「ナギャドヤラ」の発音に焦点を当ててみます。
まずこの民謡の歌詞に繰り返し出てくる「ナギャド」という言葉に注目します。「ナギャド」は王子を意味する(nagid、ナギッド)、旧約聖書において救世主なるメシアを語る際に、「ナギッド」は「メシア」と合わさって「メシア・ナギッド」という表現が用いられるようです(ダニエル書9章24節)。「メシア」は聖書にいう、「油を注がれた偉大な聖者」という意味の言葉であることから、「メシア・ナギッド」、意味は「油注がれた偉大な『救世主』」という意味になります。これは重要なことです。
その後に続く「ナサレテ」は、イスラエルの地名で、イエス・キリストの誕生地、出身地としてナサレ(ナザレ)は有名です。したがって「ナギャド・ナサレテ」とは、ヘブライ語で「ナザレの救い主」「ナザレの君主」と解釈することができます。
さらに「ナサレテ」の後には「ナギャッド」の語尾に「ヤラ」がついた「ナギャドヤラ」という歌詞が続きます。「ヤラ」の語源はヘブライ語で「立ち上がる」の(yaala、ヤアラ、ヤーラ)ではないかと推測されます。「ナギャッド」と合わせて「ナギャッドヤーラ」となり、「救い主よ、立ち上がり給え」という意味になります。この言葉こそ大勢の民が集まり、神を称える唄の掛け声に相応しい言葉となるでしょう。
また、「ナギャドヤラヨー」と最後に「ヨー」がつく節も続きます。「ヨー」は「ヘブライの神」を意味する「ヤー」、「ヨ」を表しています。ヘブライ語での「神」にはさまざまな表現の方法があり、(yahu、ヤフー)、または略の(ya、ヤ)、(yo、ヨー)などがその例となります。つまり「ナギャドヤラヨー」とは、「我が神、偉大なる救い主よ、立ち上がり給え」という祈り、願いの言葉ということになります。
次の「サーエ」(sair、サーイェ) はヘブライ語の雄ヤギを意味するだけでなく、旧約聖書の時代においては(azazel、アザゼル)、まさにスケープゴート、すなわち「身代り・犠牲」という意味があるようです。そこで浮かび上がってくるのが、旧約聖書のイザヤ53章に書かれている「屠られた子羊」、「身代りになったダビデの子、ナザレのイエス・キリスト」です。まさに、そのことを唄った歌詞が、「ナニャド ナサレテ サーエ」なのではなかったのではないでしょうか。すなはちイエス・キリストを称える歌と解釈することができるようです。
こうして、川守田先生の研究をたどりますと、この青森民謡の囃子詞には、ユダヤ人のメシア、神の子についてのメッセージが秘められていることに驚きを隠せません。どうして、こうした歌謡がこの日本の東北の、本州最北の地に残っていたのでしょうか?仮に古代、何かを求めて西アジアから東に渡来した大勢のヘブライの人々が、海を渡った極東の青森県周辺を訪れ、そこに集落を形成して、彼らの神を祀った結果、「ナギャドヤラ」の祭りが始まったのだと考えたら、どうでしょうか?これは更なる「空想」に近いかもしれませんが、さらにそこに「イエス・キリストの墓」があったとしたら・・。まさに「ナギャドヤラ」の世界となるのではないでしょうか。
どうして今まで、地元の人にも意味の分からないヘブライ歌謡がこの八戸を中心とした地域に伝わったのでしょうか?そしてさらにまた、どうしてキリストを称える歌謡であることさえ分からなかった歌が、これも今では「否定」され「偽物」扱いされているキリストの墓と伝えられる前で、長きにわたり奉納され続けてきたのでしょうか。これが何とも不思議に思えてなりません。

イエス像
今日まで青森県に存在する戸来(ヘライ)村の地名は、古代イスラエルの集落を意味するヘブライ村から訛って、伝えられてきていることは、ほぼ間違いないでしょう。
日出ずる太平洋に面する東海岸の一大拠点となった港町「八戸」は、最も重要な神の名前に値する意味を与えられた八戸「ヤへ(エ)」「ヤーヴェ」「ハチノヘ」とも読めるではないですか。そのことが、その証なのではないでしょうか。

八戸港のカモメ
その八戸から西に行くと新郷戸来(へらい・ヘブライ)村にたどり付きます。おどろくことに、その「戸来村」に「イエス・キリストとその弟の墓」が2基の円墳として伝承されているのです。そしてその墓の前で、先ほどの「ナギャドヤラ」の歌が古来から献じられているのです。

伝キリストの墓
次回はその「キリストの墓」説(現在、大勢は「偽物」説に傾いている)について、諸説あって面白いのですが、「状況」は「確実」と断定することはできませんが、多勢の皆さんが「あり得ない」と否定することを「もう一度疑ってみる」ことにも「意義」があるかと、いくつかの「状況証拠」をあげて、私なりに「肯定・大いにあり得る」にチャレンジしてみたいと思うのです。
なぜなら「否定」すること、すなはちこのキリストの墓が「贋作」と判断することは、常識的には「キリストの墓が日本にあるはずはないだろう」と、当たり前的に否定することは、きわめて簡単だからです。私はそのことを、古美術品の鑑定で、つくづく痛感したことがあるのです。
次回をお楽しみに。

