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旅・つれづれなるままに

細矢 隆男

第61回 大和の歴史とともに、最澄、空海も学んだ奈良「大安寺」を散歩してみよう


大安寺正門

 今回の旅は奈良「大安寺」です。「大安寺」は、一般的な身軽な旅、友達同士の楽しい旅の対象としては、歴史的には大変古く、やや専門的でもあり、一見訪問しにくいお寺かもしれませんが、その一線を越えて、踏み込んでみてください。古いだけに、所蔵されている仏像はすばらしく、眼をみはるものがたくさんあります。また比叡山延暦寺を開いた伝教大師こと最澄の剃髪をしたのが大安寺の行表(ぎょうひょう)という僧であり、後に最澄は大安寺にて「法華経」の講義をしてます。さらに弘法大師空海の師は大安寺の勤操(ごんそう)大徳であり、求聞持法に出会い、大変な蔵書から勉学に励んだのも「大安寺」とされます。空海は出家剃髪をしてくれた勤操を「我が祖師」と敬ってます。このように少し歴史を紐解いただけでも、偉大な足跡を確認できるほどの大寺院ですから、是非とも知っていただきたいし、またお寺の周辺を歩くことからでも始めてみてください。昔懐かしい「麗しい大和」の面影が必ずあります。私は現在の本堂の真南にあります森の奥に広がる、大きな二基の大塔跡が好きです。これだけ広々とした空間はなかなかないです。その周辺には、春には野生の藤の花が咲き乱れ、それは見事で、隠れた写真撮影場所にしてきました。きっと古代から咲き続ける野生種なんでしょうね。


宝物館(正面奥・手前の石柱は中門跡)

 かつては「大安廃寺」と呼ばれていた大変古い、古代国家が建造した大寺院です。前回掲載した「新薬師寺」と同様に、普通車には大きな無料駐車場があり便利です。ただ徒歩で来られる方は、JR奈良駅、近鉄奈良駅から市バス等があり、「大安寺入口」で降りて10分ほど歩きます。大安寺周辺は昔の細い道が多く、大型バスが入れません。車で行くか、「大安寺入口」で降りて、古道を歩いてください。近くに飲食店や喫茶店もなく、古い旧家ののどかで変わらぬ、ある意味「田舎」町奈良らしい、京都にはない昔のままの、懐かしい雰囲気の町を楽しみながら歩くお寺観光といえます。


現在の大安寺本堂

 本当に歴史や仏教、さらに「仏像」に興味がおありですと、その楽しみが倍加する展示もあります。

 今現在、大安寺に所蔵されています大半の仏像の手はすべて欠損して失くなり、現代において修復、補修されているケースが大半です。それは多難で、長い寺の歴史を物語っています。火災、落雷、地震、戦乱の緊急事態の中で、最も大切な仏像が急ぎ運び出され、その時に当たったり、欠けたりして手が失われたのです。千数百年以前の仏像が存在すること自体が尋常のことではないことを意味しています。


創建当時のコンピューターグラフィックの画面を楽しむ

 私は今年の夏の終わりから秋にかけて、五年いました秋篠寺の裏山から引っ越しまして、大安寺のすぐ近くに居住することにしましたから、まず今回は新たに散歩する意味から「大安寺」を取り上げました。

 私は奈良に住む30年前から大安寺には通ってまして、毎回たくさんの仏様を拝観させていただきました。撮影もして来ました。


西大塔跡(手前は「巨大な芯柱を支える塔礎石(七重塔)」写真右下の私の影から礎石の大きさが推定できます)

広大な東塔跡を望む

 いわば、その名である「大安寺」の通り、大和を安らかにする護国の寺ともいうべき大寺です。その寺のかつての敷地、範囲は広大で、開放的な感じがします。

 大和三山の「天香具山」の麓にありました「大官大寺」の伝統を引き継ぐ大寺ともされています。以前、大和三山について書いた折に、「天香具山」についても3回に渡り詳しく書きましたから、是非そちらもお読みいただきたいと思います。

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だるまのなかにおみくじが入る、楽しいおみくじだるまとおみくじたち

 寺伝によりますと大安寺は、聖徳太子が平群郡額田部に仏教道場としての熊凝(くまごり)精舎を創建したことに始まるとされます。やがて飛鳥の百済大寺、高市大寺、大官大寺(天香具山山麓)と名と所を変え、さらに平城京に移って大安寺となりました。この間の事情を『三代実録』元慶四年(880年)冬十月の条には次のように記します。

 「昔日、聖徳太子平群郡熊凝道場を創建す。飛鳥の岡本天皇、十市郡百済川辺に遷し建て、封三百戸を施入し、号して百済大寺と曰う。子部大神、寺の近側にあり、怨を含んで屡々堂塔を焼く。天武天皇、高市郡の夜部村に遷し立て、号して高市大官寺といい、封七百戸を施入す。和銅元年平城に遷都し、聖武天皇詔を下して律師道慈に預け、平城に遷し造らしめ、大安寺と号す」とあります。そこにはさまざま「歴史事情」があり、解釈はさまざまですが、またそのさまざまな解釈を考えるのが歴史研究の楽しみといえます。


大安寺伽藍縁起并流記資財帳(写真展示より)

 天平十九年(747年)に作成された「大安寺伽藍縁起并流記資財帳」(重要文化財・文化庁蔵)には、そもそも百済大寺の造営は、聖徳太子の遺言によるものであったとされております。

 いずれにいたしましても日本創建に関わる、大変古い歴史を有する寺であることは確かです。今回一回では語りきれず、二度、三度の訪問が必要かもしれませんが、それだけに、一体の仏像を語るにしても奥深さを感じます。


最新コンピューターグラフィックスの案内掲示

 現在の「大安寺」には本堂に国宝の「馬頭観音」様がおられ、秘仏として確か年一度の御開帳があり、大切に保存されています。また宝物館には、これまた素晴らしい仏像群がおられ、圧倒されます。新設されました「資料館・宝物館」はビジュアル的に理解しやすく、コンピューターグラフィックスを使い、「大安寺」という寺の歴史と規模を興味深く理解しやすくしてくれる最新機器を備えており、見る者にはありがたい配慮といえます。


一隅に置かれた時代の石塔・石仏たち

※こちらをクリックされますと、同じ著者による「掌の骨董」にアクセスできます。併せてお楽しみください。

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