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日常会話に役立つイタリア語

石黒 秀嗣

レッスン39 イタリア語のことわざ その6


ヴェネチア(ムラーノ島):(ヴェネチアグラス)
Murano / Calice a coppa costolata (Vetro di Murano)
石黒家所蔵

レッスン39 イタリア語のことわざ
その6 ことわざO~Z

【O】

49. Le ore del mattino hanno l'oro in bocca.(早起きは三文の得):イタリア語では「朝は口に金貨をくわえている」と言います。

50. Ognuno ha la sua croce.「人はそれぞれの十字架を持っている」即ちそれぞれみんな痛みを持っていると言うこと。

【P】

51. Passata la festa gabbato lo(il) santo.(のど元過ぎれば熱さを忘れる):イタリア語では「祭りが過ぎれば聖人は笑いの種」という意味。gabbare「だます、欺く、からかう」
人口の8割がキリスト教徒であるイタリアでは、至る所に教会があります。教会の名前には守護聖人(patrono)と言って聖人(santo)の名前が付けられています。イタリア語で「教会」は一般的にキエーザ(chiesa)を使います。例えばChiesa di San Francesco(聖フランシスコ教会)とか、Chiesa di Santa Chiara(聖キアーラ教会)のように言います。
聖人の前に付けるsantoの語尾に注意して下さい。いわゆる不定冠詞型の語尾変化をする形容詞で、不定冠詞unoと同じ語尾変化をします。

San 子音《s+子音》を除く)か《i+母音》で始まる男性名詞の前で
例:San Francesco, San Pietro, San Iacopo, San Valentino
Sant' 母音(i+母音を除く)で始まる男性名詞と母音(aかアクセントのある母音)で始まる女性名詞の前で
例:Sant'Antonio, Sant'Ambrogio, Sant'Elena, Sant'Agnese
Santo s+子音》で始まる男性名詞の前で
例:Santo Stefano, Santo Stanislao
Santa sant'になるもの以外のすべての女性名詞の前で
例:Santa Maria, Santa Caterina, Santa Chiara, Santa Irene

52. Pancia vuota non sente ragioni.「空腹は理性に耳を傾けない」
似た表現には、Pancia piena non crede a digiuno.「満腹は空腹を知らない」金持ちは貧乏人の苦しみがわからない。A pancia piena si consulta bene.(腹が減っては戦はできぬ):「お腹が朽ちれば名案が浮かぶ」などがあります。

53. Prendere due piccioni con una fava.(一石二鳥):「ソラマメひとつで二羽のハトを捕まえる」

54. Promettere mari e monti.(空約束をする):「海や山と約束する」という意味のイタリア語ですが、「到底守れない約束をすること」を意味します。
似た表現にcercare per mari e per monti「くまなく探すこと」があります。ちょうど日本語の「海超え山超え...」や「たとえ天の果て地の果てまで...」に似た表現です。またessere in alto mare「航海中である」ということから「まだ準備が出来ていない」とか「解決(達成)にはほど遠い」という意味でよく使われます。
portare acqua al mare「海に水を運ぶ」は、「よけいな(むだな)ことをする」とか「やっても意味のないことをする」という意味で、日本語の「籠で水を汲む」といった表現に似ています。

【Q】

55. Quando si è in ballo bisogna ballare.(乗りかかった船):「舞踏会に出たら踊らねばならぬ」

56. Vucca chiusa non parra.(言わぬが花):これはシチリアの方言で「口に食べ物が一杯の時はしゃべってはいけない」と言うことで、子供のしつけなどの場面によく使います。また逆説的に「黙らせるには食わせればいい」という意味もあります。
イタリア語ではIn bocca chiusa non entran mosche.「口を閉めていれば蝿は入らない」と言います。

【R】

57. Roma non fu fatta in un giorno.:「ローマは1日にして成らず」

58. Rosso di sera, buon(bel) tempo si spera; rosso di mattina mal(brutto) tempo s'avvicina.(夕焼けは晴れ、朝焼けは雨):「夕焼けは良い天気の訪れ、朝焼けは悪い天気の訪れ、雨が近づく」avvicinarsi「...に近づく」L'estate s'avvicina.(夏が近づく)

【S】

59. Sbagliando s'impara.(失敗は成功のもと):イタリア語では「人は間違いながら学ぶ」と言います。

60. Se son rose, fioriranno.(果報は寝て待て!):イタリア語では「もしそれがバラならば咲くだろう」という意味です。fiorirannoは、fiorire「花が咲く、開花する」の未来形三人称複数。

61. Si deve mangiare per vivere, non vivere per mangiare.「生きるために食うのであって、食うために生きるのではない」
シチリアのことわざでMegghiu muriri chi mali campari.(Meglio morire che vivere male)「悪く生きるより死んだ方がましだ」があります。

【T】

62. Tale il padre tale il figlio.(この親にしてこの子あり)

63. Tutte le strade conducono (portano) a Roma.「すべての道はローマに通じる」

64. Tentar non nuoce.「やってみても損はない」
nuòcere「〈...の〉害になる、〈...を〉傷つける、損なう」、Non tutti mali vengono per nuocere.「必ずしも全ての不幸が害になるとは限らない(不幸も何かの役には立つ)」ということわざもあります。

65. Tra il dire e il fare c'è di mezzo il mare.(言うは易し、行うは難し):イタリア語では「言うのと行うことの間には、海のように深く大きな隔たりがある」と言います。

66. Traduttore è traditore.「翻訳者は裏切り者」:tradurre「翻訳する」という意味。tradire「裏切る」は、ラテン語traderetrans「向こうに」+dare「渡す」)が原義。ユダが裏切ってキリストを引き渡す事から「裏切る」という意味となる。翻訳者の誤訳により真意が伝わらないので、つねに原典に戻り正しく読むことを戒めたことわざです。

67. Tutti i nodi vengono al péttine.(悪事はいずれ露見する):イタリア語では「糸のもつれは必ず筬(おさ)に引っかかる」と言います。筬とは、織物の縦糸をそろえ横糸を押し詰めて織り目を整えるための、織機の付属具。金属または竹の細い板をくしの歯のように並べて、長方形のわくに入れたもので、イタリア語ではpèttine「櫛(くし)」という言葉が使われています。

68. Tutto è bene quel che finisce bene.(終わりよければ全てよし)
quel che~「...するところのもの(こと)」

【U】

69. Uomo avvisato, mezzo salvato.(助言には耳を傾けよ!):イタリア語では「危険を予告された者は半分救われたようなもの」と言います。avvisato「知らされた、予告された」

70. Una róndine non fa primavera.「たった1羽のツバメが来ても春になったとは言えない」

71. Una mano lava l'altra e tutte e due lavano il viso.(協力こそ大切):イタリア語では「片手の手が他方の手を洗い、両手を使えば顔が洗える」と言います。

【V】

72. Vedi Napoli, e poi muori.(ナポリ見ずして死ぬことなかれ):「ナポリを見てから死ね!」ナポリのことわざでVide Napole, e po muore.と言います。美しいナポリを死ぬまでに(生きている間に)一度は見るべきだという意味です。日本では「日光見ずしてけっこうと言うなかれ」

73. Vivi e lascia vivere.(自分は自分、人は人):「思うままに生きよ!そして他人の生き方に口を出すな!」
使役動詞lasciareは、動詞の原形を伴って「~するままにしておく、~させておく」の意味で使います。Lascio fare come vuole.(望むようにさせておく)

74. Voce di popolo, voce di Dio.「民の声は神の声」これはラテン語Vox populi, vox Dei.から受け継がれたことわざです。

【Z】

75. Zotici e villani discuton con le mani.イタリア語では「がさつで無教養な人は手を使って言い争う」という意味す。時には大声をだして言い争いをする人たちを中傷したことわざです。
discutere「議論する、言い争う」、zótico「がさつな、不作法な」、villiano「無教養な人、無礼な人」

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