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万葉植物から伝統文化を学ぶ

万葉いけばな研究家
庄司 信洲

上巳の節句

三月三日は「 上巳 じょうし の節句」です。一般的には「雛の節」とか「桃の節」と呼んでいます。
この上巳とは、三月の最初の (へび)の日を示し、古代中国では、この日に川の流水の東の辺りで、一年の 不祥 ふしょう (災難や不吉)を はら みそぎ をしたのです。
そして、日本では自らの身の けがれ を人形に託して流すとする「流し雛」、即ち流しの儀式などから発展して、貴族たちなどによる「曲水の宴」が催され、その「禊」と「遊楽」とが合わせて行われるようになり、今日でも各地で見られます。

その「曲水の宴」を『万葉集』で大伴家持は、

漢人(からびと)も筏(いかだ)浮かべて遊ぶといふ今日そ我が背子(せこ)花縵(はなかづら)せな

(糸で つづ った花飾りを 頭挿 かざ して、さあみんな 唐土人 もろこしびと の筏遊びにならって遊ぼうよ)と詠っています。この花縵には桃の節に相応しく、桃の花を頭挿したと思われます。

さて、この「桃の節」について桃と不祥との関係についてですが、『古事記』に「 黄泉 よみ の国に旅立った 伊邪那美命 いざなみのみこと の雷神に、 伊邪那岐命 いざなぎのみこと が追われた時、桃の実を三個ちぎって雷神(鬼)に投げたところ、追ってこなくなった」と記述され、桃は、日本で最初に鬼を祓った木として崇められるのです。

このことは、中国の西の果てに棲むんでいたという「 西王母 せいおうぼ 」に由来するもので、西王母は桃の実を食して、三千年の歳を保ったとされ、桃を異名で「 三千草 みちとせぐさ 」と呼称されてもいます。長命を望して、西王母に願った漢の武帝の「 仙挑七顆 せんとうひちか 」の話はよく知られています。右図のものは、その西王母が桃の花と実を携えて たたず む姿が描かれております。
次の歌で大伴家持は、


春の園紅(くれなゐ)にほふ桃の花下照(したで)る道に出(い)で立つおとめ

(春の園に紅色に輝き咲く桃の花、その花下の道に佇む乙女よ) と詠んでいます。ここでの「」とは、思春期を迎へひときわ美しい乙女を示し、結婚を望して佇む意をももっているのです。そして、桃の下に佇むことは、自らの清らかな恋心に邪気が寄ることのないことの意を含んでいるのです。

このように邪気を祓う桃は他に、「 桃人 とうじん (人形)」とか「 桃弓 とうきゅう 」としても用いられてきました。そして、「上巳の節」の3日後には二十四節気の一つの「 啓蟄 けいちつ 」が訪れ、「蟄」即ち、虫の代表としての蛇が、大地から顔を覗かせると真の春の訪れがくるのです。往昔の人たちは、そうした春の虫類の動行をも観して、人間の生長などなどを占ったのです。

今年の「上巳の節句」も桃や虫類からエネルギーをもらい無事平安な春を迎えて下さい。

万葉植物から伝統文化を学ぶ
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