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万葉植物から伝統文化を学ぶ

万葉いけばな研究家
庄司 信洲

川楊の理美

 この季、山間では時折り雪が降る寒い日が続き、そんな中でも渓流の辺に川楊かわやなぎが力強く枝を伸ばしはじめる姿を見ることが出来ます。


図版[1]
『生花早満奈飛』
嘉永4年(1851)




図版[2]
『千筋の麓』
明和5年(1768)

 その姿を『万葉集』には
山のまに雪は降りつつしかすがに この河楊<かはやぎ>は萌えにけるかも (作者未詳)
(山間にはまだ雪が降っているというのに、川添では川楊がもう芽を出している)と歌われております。この川楊は集中4首あり、何れも「楊」の字を用いて、垂柳と異なえて詠まれております。
 このことは、古く中国において垂柳と川楊を総称して「楊柳ようりゆう」とし、その後に垂柳と川楊を区別したとされ、平安時代の『和名抄わみようしよう』にも「柳、和名、之太里夜奈木しだりやなぎ」「水楊すいよう、和名、加波夜奈木かわやなぎ」とあります。
 その川楊は、万葉時代には呪術的な霊力を秘めた木として重され、川辺や池辺の土に挿して数日後、その根の延い伸びる具合や方向を鑑して、吉凶の度合いを呪ったのです。
 そのことを次の歌では
小山田<をやまだ>の池の堤にさす楊奈疑<やなぎ> 成<な>り成らずも汝<な>と二人はも (作者未詳)
(小山田の池の堤に挿した川楊のように、うまくいってもいかなくても、あなたと二人なのだ)と歌い、ここでは「堤に楊を男女に擬して二本挿し、二本とも根が互いの方向に延い伸びれば、恋が成就する」とした俗信を意してのもので、また、その恋が不義密通の場合には、その場所に審判役として「むらじ」の姓なる者が立ち合って、その成否の程を判定し、罪の度合いを決めたのです。
 上記の歌では、判定がどのようにあろうとも、もう二人は一つになり、死んでも離れることがないと詠じたのです。
 さらに、次の歌でも
楊奈疑こそ伐れば生えすれ世の人の 恋に死なむをいかにせよとそ (作者未詳)
(楊は切っても切っても生えるが、世の人が恋に死にそうなのを、どうせよという気ですか)と、恋の成就への超越感を滞わせる歌として詠じられております。
 こうした川楊を用いたいけばなを古書から拾い出せ、図版〔1〕では、二重切の竹花入れの上口より大きくたわめ、雪解けの川楊の特性を表わしてけ、図版〔2〕では、一重切の竹花入れに凛とした川楊を挿け、何れも小菊を出合せていけ表わしています。
 どうぞ、この厳しい冬が終えたころに、川楊を手折り川辺か池辺に挿して、恋などの吉凶を占ってみて下さい。
万葉植物から伝統文化を学ぶ
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