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万葉植物から伝統文化を学ぶ

万葉いけばな研究家
庄司 信洲

黍と粟の美学

 きびあわは古来より五穀として大切な食と薬の植物でありました。黍は中国で「百穀の長」と呼称され尊ばれており、一方の粟は『古事記』に食物を司る女神の大宜津比売神おおげつひめのがみ黄泉よみに向かう時に、その体から「稲、粟、小豆、麦、大豆」の五穀を生み出したと記されております。このことから五穀は、死から生命が宿る「復活」の意味をもつものとして重されてきました。
 『万葉集』での粟の歌として

[図Ⅰ]『生花早満奈飛』8編嘉永4年(1851)

[図Ⅱ]『千筋の麓』明和5年(1768)
足柄(あしがら)の箱根の山に粟蒔(ま)きて実とはなれるを逢(あ)はなくもあやし(作者未詳)
(足柄の箱根の山に粟を蒔いて実を結ぶ、それなのに逢えないのはおかしなことよ)と歌い、ここでは「あわあふ」に音通させ、種を蒔いて結実し、二人の愛は結ばれたというのに、その後は相手の訪れがなく逢えないことから、粟に逢瀬の復活を切望して詠じているのです。
 そんな逢瀬への心のたわみをいけ表した花を、いけばなの古書から拾い出せます。図版[Ⅰ]参照。
 次に黍と粟を出合わせた歌として
梨(なし)棗(なつめ)黍に粟つぎ延(は)ふ田葛(くず)の後(のち)にも逢はむと葵(あおい)花咲く(作者未詳)
(梨棗黍に粟が続いて実り、蔓を延い伸ばす葛のように、後にもまた逢おうと葵に花が咲くことよ)と詠い、ここでは「」「そうそう」「きびきみ」「あおいあふ 」に音通させ、思う人との恋が実ったのだが、今は離れている。一日でも早くまた逢瀬を叶えさせたいものだと、五種の実物植物で逢瀬を実らせることと、さらに葵の花を出合わせることによって、恋の開花への願望成就を高めた歌としています。
 そして、この歌は、秋の七草に次ぐ多くの植物を詠いあげたものでもあります。
 いけばな古書からは、実の出る前の黍のたわみ葉に、朝顔の蔓が延いまとわり、如何にも逢瀬を意する男女の仲睦まじさを感じさせる花としていけ表されています。図版[Ⅱ]を参照。尚、こうした粟や黍の五穀は「生けることははばか るべし」と古書に記され、いけることは禁止されて居りますが、但し、 畏敬いけいの意ももってあつかえばいともされております。
 万葉人たちはこの実りの季を迎えると、食の実りは無論、恋の逢瀬の実りを望して如何ばかりか心をわくわくさせたことかが伺い知れます。
 そんな実りの黍や粟も、最近では粟餅や黍餅などの原料程度の栽培となってきております。しかし、いけばなの花材としては栽培され、早い時は夏の青々とした実房のころから秋季までいけ楽しまれております。
万葉植物から伝統文化を学ぶ
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