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万葉植物から伝統文化を学ぶ

万葉いけばな研究家
庄司 信洲

片栗の理美

 仲春の季、山里の森や林のゆるやかな斜面に、可憐に咲き薫う片栗の花を観することができます。
 片栗は、春分の頃に大地から紫の斑文様の葉をやさしく向い合わせ、その真中から、紅紫色の花弁を反らせながら可憐に咲かせます。

図版[I]
 その葉の姿が子鹿の背の斑点文に似ていることから「片葉鹿子かたばかご」と称され、その名が略されて万葉名を「堅香子かたかご」と呼ばれたのです。そして、片栗と言えば、地下の鱗茎からとる澱粉の「片栗粉」であり、食用や薬用としても往昔より愛されておりました。
 そんな片栗の花を、日本で最初の植物図鑑の『本草図譜』(江戸時代)には、「正月一葉を生ず、その二葉出るものは花あり...六辨淡紫色むひらうすむらさきいろ、百合の花に似て細し、日光産は花深紫色根白色指の頭の如く、煮て菜となし、乾て粉となす」と記され、片栗は開花するのには対の葉が必須であり、食草であることも記されております。合せてその、図版[I]を参照して見て下さい。
 そしてさらに、その可憐で美しい花は往時の女性たちの心を魅了したとされており、大伴家持が、富山県高岡市伏木ふしき古国府ふるこくふの長官として赴任していたときに、境内の井戸の辺りに薫い咲く片栗を観しながら、
もののふの八十<やそ>娘子<をとめ>らが汲<く>みまがふ 寺井<てらゐ>の上<うへ>の堅香子の花
(たくさんの乙女らが、いり乱れてざわめきながら汲む井戸水の辺りに、ひっそりと咲く片栗の花よ)と歌っております。

図版[II]
 この歌の前書に、「堅香子草かたかごの花をぢ折る歌一首」とあり、「攀ぢ」とは「手折る」ことを意します。そして、原文での「物部もののふ」は「朝廷を仕えるための沢山の官僚かんりょう」で、次に「八十」の「」は、恋心を持つ娘子おとめを意し、往時の国分寺境内の湧き出でる井戸水の辺に、咲き薫う片栗に見まが うが如くの美しき乙女たちの賑わいを観して、北陸の厳しい冬を越えて迎えた春の訪れを、一輪の片栗の花を手折り しめしながら、都を離れての家持巳からの心の寂しさにも温りが訪れたことが、深々と詠じられているのです。
 そんな片栗の花を、ペルシャのアモール水差しに挿けた可憐な花を、図版[II]で観してみて下さい。
 どうかこの春の季に、近くの山里に訪れて、賑わい咲き乱れて咲く片栗の花の、一輪一輪から瑞々しき生命感美を得て見て下さい。
 ※愛知県の香嵐渓では賑わい咲く片栗の花を観することができます。
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