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万葉植物から伝統文化を学ぶ

万葉いけばな研究家
庄司 信洲

松の影向の美学

古来より松は 常磐 ときわ 木として尊ばれ、神の 依代 よりしろ 影向 ようごう (神を迎える)の意味などから、門松や正月飾りをはじめ、相生、婚礼、誕生などの常を言祝ぐ木として欠くことのできないものであります。

中国では、「 松柏 しょうはく 」とも呼称され、「柏」は、 杜松 ねず 児手柏 このてがしわ のように枝葉に裏表のない木を指します。即ち、そのことから人の心を裏切らない意味をもっているのです。

大伴家持は、そんな常磐の松を

八千種(やちくさ)の花はうつろう常磐なる松のさ枝を我は結ばな

(数々の草花はやがては枯れていく、常緑の松は永遠の木であることから、願いを込めて松の枝を結ぶのです)と詠じております。

このように、結ぶ行為は 注連 しめ 縄と同じ意味であり、植物に触れることは、その奥に秘めた生命力を摂取しようとしたもので、古代の文明に見られる「植物と人間との交歓作用」をもととする「予祝儀礼」的なものであったのです。

その常磐の松と、初夏の 著莪 しゃが の草花を出合わせていけ表わしたものが、伝統いけばなの古書から拾い出せます。[図版(1)参照]

そして、神聖な松の声が聞こえてくると、市原王は次の歌で、


[図版(1)]
「生花早満奈飛六編・嘉永4年(1851)」
一つ松幾代(いくよ)か経(へ)ぬる吹く風の声の清きは年深みかも

(一本松よ、おまえは何年を経たのであろうか、松吹く風の音の清らかなのは、長い月日を経たからなのか)と詠じております。

この歌のように、往昔人は松の木下で宴を開きながら、「峠の松風」や「里の松風」や「浜の松風」即ち、「 松籟 しょうらい 」(松風の音)を聞き分けて、その清音により神の影向など、様々なことを合せもって感じとっていたのです。そんな松籟をいけ表わしたものがあります。[図版(2)参照]

そうした、神聖な松をごく身近な木として捉えて、次の歌では


[図版(2)]
「生花早満奈飛五編・天保6年(1835)」

我がやどの君松の木に降る雪の行きには行かじ待ちにし待たむ   (作者未詳)

 (わたしの家のあなたを待とう、その松の木に降る雪のように、お迎えには行かずに、ひたすら待ちましょう)と詠われております。

ここでは「松を待つ」に「雪を行く」に音通させ、そして、白雪を得た松の木であることから、白は けが れのない純真さを表すことから、裏切ることなく恋しい人が戻って来てくれることを予兆させてのものであります。このことから、旅立ちや帰還には松が必須であるのです。
 このように松は、人間にとって最も身近な影向の神木であり、日本人の一番の崇敬木であったことが伺い知れます。

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