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万葉植物から伝統文化を学ぶ

万葉いけばな研究家
庄司 信洲

榛の木の理美

 この季、林や森には、黄色の細い花房を懸け下げながら咲き薫うはんの木を観することができます。
 この榛の花は、4月頃には満開となり、春風によって黄色の花粉が舞い散ります。
 榛の木は、往昔より染めの木として称愛されており、『古事記』や『日本書紀』にも「榛(はり)」と呼称され、他に「波里はり波利はり」の文字が当てられ、又別名として「禿はげしばりしゃ、やちば」と称され、平安時代の『延喜式えんぎしき』には「はりぬの」と記され、榛の木皮や秋に熟す実の煎汁から、「黄褐色、褐色、紺黒色」などの衣染がされておりました。
 その染め色は、紅染めなどの鮮やかな色に対して、なじみ深き色として様々に想い入れて称愛され、『万葉集』では、14首中9首が染めにかかわる歌として詠まれており、その一首として、
綜【へ】麻【そ】かたの林の前のさ野【さの】榛【はり】の 衣【きぬ】に付【つ】くなす目につく我【わ】が背【せ】(作者未詳)
(三輪山の林の端の榛の木の色が着物によくつくように、はっきりと私の目につくが君です。)「綜麻かた」の「へそ」は、「つむいだ麻糸を巻いたもの」を指します。そして、この歌は、ぬかたのおほきみの立場に立って井戸王ゐのへのおほきみが天智天皇を讃美して詠まれたものともされております。
 次の歌に「榛をむ」と題し、
思【おも】ふ子【こ】が衣【ころも】摺【す】らむににほひこそ 島の榛原秋立たずとも
(いとしいあの娘が衣を摺り染めにするためによく色づいて欲しい島の榛原よ、秋は来なくても)と、秋に褐色に熟す実に合せて、黄色に色付く葉のこうようの姿から、若き恋人の成長を待ちわびていることを寓意させて詠ぜられているのです。
 そして、さらに次の歌では、
伊【い】香【か】保【ほ】ろの沿【そ】ひの榛原わが衣に 着【つ】き宜【よら】しもよひたへと思へば(作者未詳)
(伊香保の山ぞいの榛の木の原は、わたしの衣によく摺り染まることよ、ひとえだもので)と、榛の摺り染めの如く、相手が自分によく馴染むでくれていることと「榛の染」に比喩させ、榛の染の色が少しずつ色褪せていても、その色が馴染むが如く愛の深さは色あせることはないものと深々と詠ぜられております。
 その榛の秋の名残りの実を煮出して染めたものを図版[I]で参照して見て下さい。
 そして、名残りの秋の実を有し、近々花を咲かせる蕾を懸けた榛の木に侘助椿を出合せ、江戸時代の備前焼の船虫形の花入にけ表わした作品を[II]で参照して見て下さい。
 どうぞ、この季、花粉症でない方は、近くの林や森に出掛けて、往昔より色染としての想い深き榛の花を観し、またその樹陰に落ちている実を拾っては、染めを楽しみ和みの愛をあじわい得て見て下さい。


図版[I]

図版[II]
万葉植物から伝統文化を学ぶ
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