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万葉植物から伝統文化を学ぶ

万葉いけばな研究家
庄司 信洲

萩・靡き撓む美学

草木の なび たわ む姿は、一年の中で秋がことのほか風趣に富んでいるといえます。それは 野分 のわき (台風)の季であることから、秋の野を吹き分ける風が、草花を傾かせ 横臥 おうが さる即ち、靡き撓めるからであります。

その姿から「靡く」は、恋人や隣人にまた動虫類などへの心の いざな いと、その心の姿の美しさや麗しさを表し、「撓む」は、誘わされた心の深さや重さなどを比喩させて表されます。

万葉集では、秋草の代表として萩が挙げられております。その萩は、古株から芽生える「 え木」の意味から名付けられ、生命を称美する花として万葉人に賞愛されたのです。
その萩へのこだわりの歌として大伴家持は、

秋の野に咲ける秋萩秋風に靡ける上に秋の露置けり

(秋の野に咲いている秋萩が、秋風に靡いている。そしてその枝の上に秋の露が置いていることよ)と詠い、秋を四たび出合わせて、靡き撓む萩の風趣の美しさを増幅させんとしたのです。

そして、この歌は、後の文学はもとより、芸能一般や絵画の世界への「靡き撓む美学」の礎となります。とりわけ伝統いけばなでの役枝にも挿入され、靡く枝を「風きよ」、撓む枝を「露もち」と名付け、花の姿にさらなる清々しさや 瑞々 みずみず しさを表すものとしても大切な要素ともなります。

その靡き撓む萩にも、露にあわせて霜が訪れ撓む姿はひときわ重々しさを呈すると、

次の歌で 石川広成 いしかわひろなり は、

妻恋(つまごい)に鹿(か)鳴く山辺(やまへ)の秋萩は、露霜寒(さむ)み盛り過ぎ行く

(妻に恋焦がれて鹿が鳴いている山辺の秋萩は、露霜によって重みがまして撓むように、恋の盛りが過ぎようとしている)と詠じております。

そして、まさしくこの歌心を表わしたいけばなが、江戸後期の『 生花早満奈飛 いけばなはやまなび 』から拾い出せます。[図版参照]


そんな萩も、秋が深まると撓む枝葉は色づき散りゆくと、


さ夜(よ)ふけてしぐれな降(ふ)りそ秋萩の本葉(もとは)の黄葉(もみち)散(ち)らまく惜(お)しも(作者未詳)

(夜がふけて時雨よ降ってくれるな、秋萩の下葉の紅葉の散るのが惜しまれる)と詠じられ、秋雨によって、色づいた萩の撓みの美しさも終焉を迎えるのであります。
 このように、萩の靡き撓む姿は、風露霜そして雨といった自然の風物が描き出す
風姿 ふうし の妙美」とでもいえる日本の特異な美学は、万葉集の秋草の代表としての萩の歌によって言いつくされるのです。
どうぞ、この靡き撓む萩を含む秋草の風姿を でてみて下さい。

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