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万葉植物から伝統文化を学ぶ

万葉いけばな研究家
庄司 信洲

撫子の微笑の美学



図版[1]
『千筋の麓』
明和5年(1768年)




図版[2]
『千筋の麓』

 夏から秋にかけて川原や山野や海浜の土手などで、可憐に咲き匂う撫子の花を観することができます。
 撫子は、その「撫」の字が示すとおり、かわいらしく愛撫したくなるような娘子の意であり、その撫子の花の微笑む花容からも充分に感じとることができます。
 そんな可憐な撫子を大伴家持は、
奈泥之故(なでしこ)が花見るごとに娘子(をとめ)らが 笑(え)まひのにほひ思(おも)ほゆるかも
(撫子の花を見るたびに娘子の明るい笑顔が思い出されることよ)と歌い、ここでの娘子は、都に残してきた妻の坂上大嬢さかのうえのおほをとめの、撫子の如き花容の微笑む姿を慕って詠じているのです。
 そんな撫子をいけばなの古書から拾い出せ、手付の細口花入に可憐にけ表されております。図版[1]を参照してください。
 この図版のいけばなの撫子からもうかがい知れますが、平安時代ごろからは、撫子の如く可憐な容姿の娘子たちを「大和やまと撫子」と呼称し、そのことは『枕草子』の中に「なでしこ、からのはさら也、やまとのもいとめでたし」と詠まれ、中国から渡来したものを「唐撫子」と呼称するのに対して名付けられたとされております。そして、その大和撫子を『源氏物語』では「常夏とこなつ」と称してでられております。
 次に、撫子の手植えの歌として家持は、
一本(いちもと)の奈泥之故植ゑしその心 誰にも見せむと思ひそめけむ
(一本の撫子を私が庭に植えたその心は、誰にこの花を見せようと思ったのでしょう)と歌い、初夏の頃に手植えされたとされ、家持の撫子(大嬢)への思いの深さが、先の歌とこの歌からよく感じとることができます。
 いけばなの古書には、波文が描かれた水鉢に、可憐な撫子の容花が水面に映し描くが如に挿けられています。図版[2]を参照してください。
 そして次に、秋を誘ふ歌として、
野辺見れば、嬰麦(なでしこ)が花咲きけり 我が待つ秋は近付くらしも (作者未詳)
(野辺を見ると撫子の花が咲きはじめており、わたしの待つ秋が近付いてきているようだ)と詠われております。
 どうか、この晩夏から秋への季の移り変わりの中で、可憐な花容は変わることのない撫子の微笑の美しさを賞愛してみてください。
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