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万葉植物から伝統文化を学ぶ

万葉いけばな研究家
庄司 信洲

山吹の理美

 春、さまざまな色の花が咲きにおう中に、黄色の小花をたわわに咲かせてたわみ咲く山吹の花を観することができます。
 山吹といえば、太田道灌おおたどうかんの故事に登場する「七重八重ななえやえ 花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞかなしき」の歌が浮んできます。一重咲きは実が熟し、八重吹きは実が熟さないことから、願い事が成就できないことえの比喩として歌われたりしており、『万葉集』にも
 花咲きて実は成らずとも長き日に思ほゆるかも山振の花(作者未詳)
(花は咲いても実はならないとしても、早くから毎日待遠しく思われることだ。山吹の花は)と、恋の花を咲かせて久しく成るのに、なかなか結ばれることがないことえの不安感が歌われております。
 このことは、集中の他の歌の中に「花のみ咲きて成らざるは」「神そつくといふならぬ木ごとに」とあり、花が咲いて実が熟さないものには神のたたりがあると詠ぜられております。
 そんな山吹も、春風をうけて揺れなびむ姿は優美なもので、その風姿の美しさを置始連長谷おきそめのむらじはっせは、

図版[I]

図版[II]
 夜麻夫伎は撫でつつ生ほさむありつつも君来ましつつ挿頭したりけり
(山吹は、これからもいつくしみ育てよう、今までもずっと変ることなく、あなたも時々来られて髪に挿しておられることよ)と、大伴家持の庭内のけやき の樹下で宴席の時に歌われたもので、優美に咲き薫う山吹の花を挿頭すことは、家持の山吹をこよなくいつくしんでおられることを尊んでのものであり、「挿頭」行為は、物事を成就させる呪力があるのです。
 次の歌で、再会を叶えさせたいと高市皇子たけちのみこは、
 山振の立ちよそひたる山清水汲みに行かめど道の知らなく
と、黄泉よみの国に旅立たれた妃の十市皇女とをちのひめみこ に一目逢いたいと、山吹の咲き薫う清水に行きたいが、その行く道が分からないと歌い、ここでの山吹の花色の「黄」と清水の「泉」から「黄泉」が寓意され、逢うことが叶わないと詠ぜられております。山吹を「 面影草おもかげそう」とも呼称されることがうかがい知れます。
 そんな山吹の瑞々しい風姿を、古代ギリシャ土器瓶に挿け表わした作品を図版[I]から、そして、いけばな古書『 早満奈飛はやまなび』図版[II]も合わせて参照して下さい。
 どうか、この季には、山吹のなびむ美しさを観し、一輪を手折って挿頭し、輝く生命美を高めて見て下さい。
万葉植物から伝統文化を学ぶ
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