初夏の季、山里や草原にやわらかな撓たわみの葉脇から、釣鐘形の可愛らしき白い花を咲かせる甘野老あまところを観することができます。
　この甘野老の名は、茎の下部から根にかけての赤味のあるあたりを食むと甘味を感ずることから、野老ところ（やまいも）より甘いことより銘せられたとされております。
　そして、その甘野老を、平安時代の『和名抄』には「葳い蕤ずい　和名　恵え美み久く佐さ＝安あ麻ま奈な」と記され、「葳蕤」は、「草木の芽吹きのさまと花の美しさ」を指し、また「漢人からびとは、竹の風に吹かれて撓たわむ姿を笑えみと言ふ」とし、そのことから銘せられたのです。
　その揺らぐ姿美を、江戸時代の『本草図譜』でも「葳蕤（えみぐさ）」と記され、懸け垂れる可憐な花に赤味ある茎と茎根の姿を図版[I]で参照してみて下さい。また、薬用植物として、根茎を乾燥させ煎服すると「強壮剤」に、摺り潰した汁は「打撲症、腰痛」に効があるとされております。

　そして、さらに『万葉集』では、「和にこ草ぐさ、似に兒こ草ぐさ、尓に故こ具ぐ左さ、尒に古こ具ぐ佐さ」の字が当てられ「にこぐさ」と呼称され、その和草の字が当てられた歌として、

（射おとされた鹿の跡をたずねたる川辺に生えている柔らかな草のように、若かったころ伴に寝たあの娘こよ）と、川端に生える生々しき甘野老の姿に、若き時のことを比喩させて詠ぜられており、この歌には「物に寄せて思を陳のぶる歌」とも題されております。
　そして、次の似兒草の歌では、

（葦あし垣の中に生えている似兒草ではないけれども、にこやかに私と笑みを交わし合って、あなたとの交際を人に知られないようにして下さいね）と、微笑の美しきにこぐさに比喩させて詠ぜられております。
　さらに、その「にこやか」な歌として、

（秋風に靡なびく川辺のにこ草のように、心にこやかに嬉しく思われることだ、今こそ）と「七夕の歌」として歌われ、相手の人との逢瀬が近づいてきたことを知り、恋心の湧わく感を尓故具左に比喩させて詠ぜられております。
　その葇やらかに懸け垂れる可愛らしき甘野老を、古代朝鮮の新羅しらぎの高たか坏つき土器に挿いけ表わした作品を図版[II]で参照して見て下さい。
どうぞ、この初夏の季、卯うの花などに合せて甘野老の懸け垂れ咲き薫におう姿を観し、また庭に植えしものがあれば、開花後に赤目の茎を食みて、その素朴な甘さを味わいながら、和にこやかさをもちながら過ごして見て下さい。