春を迎えたる季、草木の新芽や緑々と育ちたる葉を観したる折りに、暫しばと出合う植物は軒のき忍しのぶの葉であります。

　この軒忍は、比較的に苔肌や樹じゅ皮ひを有したる大樹に、数多の軒忍の生えている姿が、神社の杜もりやお寺の境内にて暫々と観することがあり、そしてさらには古家の屋根や軒や玄関などの岩垣より軽ろやかに生えている姿を観すこともあり、この軒忍を観みるたびに生命感が漂ってきます。
　その軒忍の姿を、愛知県の「三さん種しゅの神じん器ぎ」の内の一種の神聖な宝物があります熱田神宮の境内の樟くすの木からは、多く軒忍が殖する姿を観することができます。その姿美を参図［I］にて参照して見て下さい。
　この軒忍を『万葉集』にては「子し太だ草くさ」と称され、柿本人麻呂の歌集に「物に寄せて思を陳のぶる」と前書きされて

「我が家の軒のきの軒忍なら数あま多たに生え伸びているけれど、恋を忘れさせるという忘れ草は、いくら見てもどこにも生えていないことだ」と詠うたわれており、恋い心のなきことを強調させるために「子太草」を対照的に歌いて、恋の苦しさから逃れたいと願いながら詠えいぜられているのです。この歌での「忘れ草」は「薮やぶ萱かん草ぞう」の花であり、軒忍の生命力の強さと、それに対して開花してから花の散るのが早いことを比ひ喩ゆさせての歌であります。
　この軒忍の別名として「八やつ目め蘭らん、松しょう風ふう蘭らん、烏からすの忘わすれ草ぐさ、忍しのぶ草ぐさ、八やつ目め草ぐさ、何い時つ迄まで草ぐさ」と称し、また古典文学の「古今和歌集、枕草子、源氏物語」には「しのぶ草」の名で登場しております。そして漢名では「瓦韋ぐわい、劍けん丹たん」と銘めいされ、漢方の薬としても重愛され、根茎を煎服すると「腰痛、腹痛」などの病に効果があるとされております。
　そして、さらに日本の最初の植物図鑑の『本草図譜』には「のきしのぶ、やつめらん、まつふうらん、瓦韋ぐわい、からすのわすくさ」の名が記され、その解説として「葉は椏やなぎの如く厚あつくして深緑色、背に黄赤色の星あり、故にやつめらんと云う」と記されております。図鑑［II］を参照して見て下さい。
　そしてさらに、イギリスの阿あ古こ陀だ形の飴あめ色ガラス小瓶に緑々とした細き葉の柔やわらか揺れ靡く子太草に、この季の桃色の可愛らしき躑躅つつじの花を添えて挿いけ表わした作品を［III］の図で鑑してみて下さい。
　どうぞ、この明るき春の季、常緑の大樹の木に緑々とした細き葉を、空に向けて立ち伸ばす姿のものや、地に向けて美しく懸かけ下げた、万葉人に愛されし子太草の美感を愛めで楽しみて、柏手を打ちて願いごとを成就させてみてはと思います。