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万葉植物から伝統文化を学ぶ

万葉いけばな研究家
庄司 信洲

綿の理美


図版[I]
 冬季を迎え、山里での白雪を頂いた草木を観すると、まさに白綿を着せた被綿きせわた如くであり、その姿はとても清らさと温かさを感ずることができます。
 そして、綿は7~8月頃に淡黄色で芙容に似た花を咲かせます。ここでは、昨年の綿をまゆ姿の籠に出合せてけた作品、[I]を参照して見て下さい。
 この季の綿は卵円形をした果実が裂けて、白い綿毛をふくらませ種子を覗かせます。万葉時代には、暖をとるための衣として大切なもので、往時は九州(筑前や筑後・筑紫)で栽培されていたとされております。
 そのことは『万葉集』で「沙弥満誓さみまんぜい、綿をむ歌一首」に
しらぬひ筑紫<つくし>の綿<わた>は身に着<つ>けていまだは着ねど暖<あたたか>けく見ゆ
 (しらぬひの筑紫の綿は、まだ肌にじかに着てはみたことはないが、ほんとうに暖かそうにみえる)と歌われております。この歌のように、往時は綿の衣が着られる人は位の高い人に限られており、綿衣を着ている人を観すると、とても暖かそうに見え合せて身分の低さを感じていたことが、この歌から伺えます。

図版[II]
 そして、その九州に栽培されていたものは、綿の原種である褐色の「茶綿ちゃわた」であるとされ、ここに奈良の万葉植物の愛好家から頂いた茶綿に、名残りの芒の穂を出合せて小籠に挿けた作品[II]を参照して見て下さい。
 そして、その事が切々と感じとれる歌として、次の「貧窮びんぐう問答もんだふ歌一首」と題した山上憶良の長歌に、
風交<ま>じり 雨降る夜の 雨雑<ま>じり 雪降る夜は すべもなく 寒くしあれば...人とはあるを 人並に 我もなれるを 綿もなき 布肩衣<ぬのかたぎぬ>の...
(風に交じって雨の降る夜、雨に交じって雪の降る夜は、どうしようもないほど寒くてたまらないので...たまたま人として生まれて来たのに、普通の人と同じように「五根ごこん(眼・耳・鼻・舌・身)」を具えて生まれてきたのに、綿も無い袖のない粗末な肩衣の)と、綿布の衣服のない貧苦な人が切々と訴えて詠ぜられております。
 そもそも綿は、熱帯の国の草本であり、古くは、5000年前の古代インドのインダス川流域の遺跡から発見されたことより原産国とされ、日本では『万葉集』に詠われた以外には『正倉院文書』、そして、平安初期の『日本後期にほんこうき』と『類聚国史るいじゅこくし』に「延暦十八年の七月、三河の国に天竺人てんじくじん印度インド人)の舟が漂着し、綿の種子を諸国に伝える」とあります。その綿に縁りを得て三河の国の西尾市天竹町の天竹てんじく神社において秋には「棉祖祭めんそさい」と銘する祭事が執り行われております。
 どうか、この寒き季に入り、綿入の衣を着て寒さから避けて身を心に温りをもたせて過ごして下さい。
万葉植物から伝統文化を学ぶ
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