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頤医の「かて食」&「かて茶」ワールド

信天翁(アホウドリ)喫茶主
医学博士 山中 直樹(宗直)

「かて茶&かて食」の由来

 かて茶私流に工夫して名付けた茶葉とその喫茶法のことを言います。
 かて茶「糧茶」「かて茶」を飲む「こころのかて」の意味を含んでいるのです。
 すでに取り上げましたが「かて茶&かて食」の言葉の由来は次のようです。
 財政破綻の危機にあった米沢藩を立て直した藩主・上杉鷹山はコメの不作で飢饉が起こり多くの餓死者を出す経験をしました。
 そのために上杉鷹山は米生産の増産に努めて十分となったのですが、次の米大凶作が起こった時には再び餓死者を出したのです。
 米に依存した飢饉対策の愚かしさを知った上杉鷹山は重臣に命じて藩内のあらゆる食べられる物を調査したのです。
 野草、薬草、茎、根、果実、種子などの植物性食物だけではありませんでした。
 魚、野鳥、イノシシ、兎などの食べられる可能性のある動物までも、調べ上げたのです。
 単に調査するだけではないのが上杉鷹山の偉いところだと思います。
 藩民たちが食べ方に困らないようにも配慮したのです。
 まさに、「藩民ファースト」で、調査した食べ物の調理の方法や毒性を避けるための注意すべきことまで解説した飢饉救済の手引書「かてもの」を作成しました。
 重臣や武士たちよりも、広く藩民を優先して配布したから、上杉鷹山は、当時、既に「藩民ファースト」を実践した名君だったのです。
 さらに、上杉鷹山が偉かったのは藩の財政が回復して豊かになっても、自分自身は死ぬまで住居、衣服、食生活などで質素倹約を貫いて慎み深く、生活スタイルを変えることなく心豊かな一生を終えたのです。
 その手引書「かてもの」に由来して、その心を引き継ぐべく、私たちが飲むもの、食べるものを命の本源となる「かて茶」、「かて食」と名付けたのです。
 「かて」は心豊かに生きるための「心のかて」、生きるために必要不可欠な「命のかて」を意味しています。
 「かて茶&かて食」は健康栄養飲食の源と言うことです。

頤医の「かて食」&「かて茶」ワールド
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