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頤医の「かて食」&「かて茶」ワールド

信天翁(アホウドリ)喫茶主
医学博士 山中 直樹(宗直)

「かて食」&「かて茶」とは-1

 江戸時代中期の上杉家九代の上杉鷹山は窮乏した藩の改革や領民の安全な食生活や健康に努めた名君として知られている。
 天明の大飢饉による食料不足が起ったが、飢饉救済に取り組み指導力を発揮した。
 蘭学を取り入れ科学技術導入に努め先見の明を示した。
 「かてもの」として領民のために飢饉救済の手引書を刊行させたのだ。
 「かてもの」は「糅物」「糧物」として主食とする穀物を節約するためにいろいろな食材と混ぜて炊き合わせる食べ物を言う。
 そのための手引書が「かてもの」。
 穀物と混ぜることが出来る代用品として救荒作物として食用となる草木や果実を取り上げて調理法や病気予防法も解説する手引書を鷹山が指導したのだ。
 その解説書には食材の備蓄、保存法や調理法まで取り上げられている。
 今日の日常生活にあっても混ぜご飯、雑炊、粥として残っている。
 保存や貯蔵食材としての味噌、乾燥した魚、野菜、漬物や醗酵食材として活用されている。
 今尚、我が国など経済的に恵まれた国々も含めて多くの貧しい地域では飢餓や栄養失調が深刻な問題だ。
 一方で、飽食や高糖質となる食品&食材による肥満や糖尿病が問題となっている。
 日本で肥満や糖尿病の原因となる代表的食材は白米や精白小麦を用いた食べ物、砂糖を多く含む食習慣が問題なのだ。
 日本を代表として東南アジアの食では欧米に比して糖質依存度が高い。
 日本の多くの人達が白米ご飯、精白小麦を用いたうどん、砂糖で甘くした菓子類や炭酸飲料を食べたり飲んだり出来るようになったのはアジア太平洋戦争敗北後の経済成長をした以後の20世紀終わりになってからなのだ。
 それまでは、多くの地域や人々が白米ご飯を当然の如くは食べられなかった。
 麦飯や混ぜご飯が常食だったのだ。
 ひえ、あわ、きび、そばなどの雑穀やイモ類や大根などの野菜を玄米やくず米などに混ぜて食するのが普通だった。
 日本の各地では番茶を煎じた茶汁で雑穀、根菜類や魚などを調理していた。
 「日本の食生活全集」(農文協)を読むと1980年代から1990年代にかけて編集されており、日本の食生活の基本は縄文時代以来の食材中心だったと判る。
 私はそうした食や喫茶スタイルの適切な方法を求めて「かて食」「かて茶」として今日的な道を開きたいのだ。

頤医の「かて食」&「かて茶」ワールド
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