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頤医の「かて食」&「かて茶」ワールド

信天翁(アホウドリ)喫茶主
医学博士 山中 直樹(宗直)

「かて食」&「かて茶」とは-2

 上杉鷹山が米沢藩を引き継いで悲惨な状況にあった領民の生活や農耕牧畜、蚕のために桑を植えることなどを奨励した。
 今日的に言えば行政改革、科学技術を導入し発達させるために無用者扱いされていた人材を抜擢して領内の灌漑事業などを進めた。
 農地再生や開墾を奨励、米生産も豊かになったがそれでも天明の大飢饉を経験した。
 凶作飢饉対策として藩内の救荒食物、つまり、米生産が不作でも領民が飢餓にならないように医師らよって藩内の食用となるような植物や魚鳥獣の調査をさせて「かてもの」として庶民に出版書を手厚く配布した。
 食中毒対策や病気時の薬草まで育てて領民が困らないような予防にも努めた。
 計画的な備荒備蓄策で天保大凶作を飢餓者は一人も出さずに切り抜けた。
 ペリー艦隊が開港を求めて来る50年前に、蘭方医・杉田玄白に家臣を派遣して学ばせる程に科学技術の導入に熱心だった。
 鷹山については内村鑑三が英語で著した「代表的日本人」(Representative Men of Japan、1908年)に感動的に取り上げられている(鈴木範久訳、岩波文庫、1995年)。
 「代表的日本人」は当時英語で著され岡倉天心の「茶の本」、新渡戸稲造の「武士道」と原著が英文で出版された三部作と言われる。
 「かてもの」は高垣順子著の【改定 米澤藩刊行の救荒書『かてもの』をたずねる―「かて物」・「か手物」そして「かてもの」】(歴史春秋社、2009年)で知ることが出来る。
 「一 原点『かてもの』のあらまし」の章で上杉鷹山が成立に努め、関係した医師などや関連する「飯粮集」「民間備荒録」「米澤物産集」などにも言及されている。
 「かてもの」を読むと縄文時代以来、「古事記」「万葉集」などと食べられる動植物が何時頃から日本列島で食されていたかが判る。
 イタドリ、ハス、イヌビユ、ハシバミ、ヤマゴボウ、トチ、クヌギ、ワラビ、カラスウリ、カタクリ、カヤ、カワラケツメイ、ヨシ、ヨモギ、ギョウジャニンニク、ノビル、フキ、クズ、アサツキ、ダイズ、アズキなどと今日でも食している食材食物や1993年代までに出版された「日本の食生活全集」(農文協)でも紹介されているような私自身が馴染み深い食べ物も珍しくない。
 ユネスコ無形文化遺産となった和食の食材ともなっているのだ。
 私は「かてもの」をベースとした「かて食」&「かて茶」を低GI(低グリセミックインデックス)&低糖質の今日的に言えば、健康食として上杉鷹山の心を引き継いで大切に育てたいと思っているのだ。

頤医の「かて食」&「かて茶」ワールド
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