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掌(てのひら)の骨董

日本骨董学院・学院長
東洋陶磁学会・会員
日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男

掌の骨董42.古美術が好きになった背景とアンティーク・カメラ ライカⅢf


ライカⅢf

 今回の「掌の骨董」は古いカメラ、68年前のライカです。骨董(アンティーク)とはみなされないかもしれませんが、骨董・古美術と同じくらいの重みと魅力を持って私の人生に影響を与えてきたものが「カメラと写真」です。このドッシリと重いアンティーク・ライカを手にすると、子供の頃からの様々な思い出が浮かんできます。できれば、カメラにご興味の無い方にも、その素晴らしい世界を知っていただく一助としていただければ望外の喜びです。

 小さい頃からメカに興味をもつ男の子は多いようで、私も例外ではありませんでした。三歳の頃住んでいた「野方」は現在の「新井」にあたります。JR中野駅北口から歩いて20分弱のところです。家々の玄関は風通し良く開け放たれ、近隣も皆顔見知り、盗まれるようなものなどない貧しくものどかな時代でした。よちよちと歩き回っていた私は、家を脱走しては家族を心配させたそうです。「ターちゃんが腹当て一つで駅の方に歩いて行きましたよ」というご近所さんの目撃情報を頼りに探すと、私はいつも線路わきに座って汽車や機関車が通るのを熱心に眺めていたそうです。大人になって母からよく聞かされました。


今までに集め、今も使っているカメラ

 そんな私がカメラに興味を持つようになったのは、カメラ好きだった父の影響かもしれません。子供用の黒いベークライトの小さなカメラを買ってくれたのが始まりです。小学校4年生の時でした。思えば、この年、私は様々なことにインスパイアされました。


黒沢監督の名作「蜘蛛巣城」1957年 昭和32年封切 パンフレットより

 最も大きなインパクトはイギリスで特別に評価された黒沢明監督の作品「蜘蛛巣城」を父に連れられて観て、感動して刀剣、甲冑の美しさに興味を持ったのが後に日本古美術へ向かうきっかけになりました。また野方の家の庭で土遊びをしていて、江戸時代の古銭「一分銀」を掘り出して調べたことで、江戸という時代に興味を持つようになりました。さらに付け加えれば、近くのこども絵画教室に通い始めたり、三葉虫などの古生物やエジプトのミイラに興味を持ち始めたりしたのもこの頃。小学校4年という時期は私の一生の基盤と方向性を形作った重要な時期だったようです。


子供の頃に衝撃を受けた、東京国立博物館・東洋館の少年のミイラ

 こうして好きから始まったカメラや絵画だけに、一時の興味に終わらずに続いたことが、就職してからも大いに役立ちました。写真、絵画で養われたのは何を表現したいかの構図、強調、アングル、バランス感覚、色彩感覚でした。私が出版社に入社した当時はコンピューターがやっと出始めた頃で、ソフトなどはまだありませんでした。新入社員に課された精密な手作業の「版下」作成には、器用さだけでなく、上記のようなセンスが結果に大きな違いを生みました。そこを認めてくれた社長から制作部勤務を命じられ、本の装丁とデザイン、写真、イラストの企画立案、制作が仕事になりました。通常はすべて外注して、管理中心の仕事になるのですが、ここでも、小さいころから親しんできた写真や絵を描く経験を生かしてすべて自分一人で、楽しく全力で対応できたので、後に会社にとっての思わぬ経費の削減につながり、会社から評価されました。


古い蛇腹のカメラ2台。左:小西六写真工業・コニラピッドS  右:コダック社製KODEX-NO1

 やがて私の古いカメラで撮影した一枚の写真が会社の宣伝の表紙に使われたこともあり、世界で一番優れたカメラが褒賞として私に買い与えられました。それがライカM5ブラックとの出会いでした。このカメラ購入に際して社長がアドバイスを求めた会社出入りのカメラ店の主人の熱烈な推薦があり、ライカM5に決めたようでした。交換レンズも3本揃えて、初任給の20倍近くもする高価なカメラ一式でした。会社はかなり儲かっていたとはいえ、こうした素晴らしい道具を与えられ、楽しく仕事をさせてもらえたおかげで技術も向上しました。この社長には今でも心から感謝しています。


未だ古さを感じさせない実力者 ライカM5ブラック

 それまで使っていた私の古いカメラとはまったく違うM5の使いやすいこと。露出計内臓のはしりのカメラであることは極めて便利でした。さらに130㎜の望遠でも毛一本に合うレンジファインダーのピント機能はまさに驚異でした。以後ずっと愛用することになったこの素晴らしいカメラを手にして、仕事にも益々意欲がわきました。レイアウト、写真撮影、イラスト描き、原稿書き、キャッチコピーまでイメージ通りに自分ですべて手掛ける日々でした。その延長線上の仕事として、自社の宣伝映画(1本25分程度)の制作を命じられ、シナリオから関わり、総監督も経験させてもらいました。小学4年生のときから全作品を観てきた黒澤明監督の映画の制作方法、映画に対する考え方が大変参考になりました。出来上がった作品は全国の本社・支社で映写され、好評を得て会社から表彰され、16ミリ映画ではありましたがその後、記録映画も含め合計3本制作させてもらったのは、大変得難い経験となりました。


35㎜カメラの原点:ライカⅢf

 このようにカメラ、絵画と私の人生の繋がりは深く、18歳から刀剣の鑑定の勉強を始めるにあたり、古美術とも切り離せないものになっていきました。個人的に集めてきたカメラの中でも一番古いライカが今回の1950年製のⅢfです。アンティーク・カメラ・コレクターのMr. Yokotaから分けていただきました。もちろん今でもきれいに写ります。分解掃除、部品交換、調整整備に至るまですべてできるプロフェッショナルMr.Yokotaの手により完璧に調整が施されています。ちょうど3歳だった私が中野駅で汽車や機関車に見とれていた頃に製作された超精密カメラ、今も現役のこのカメラには、特別な思いがあります。

 レンズ部分は、沈胴式という形式。スクリューマウントと先にも述べたレンジファインダー方式という現在でも最高のピント調整方式を採用、さらに今の35㎜フィルムと同じパトローネの原型が入る、最初期のカメラでした。35ミリフイルムはライカの創始者エルンスト・ライツが考案したものがそのまま今も使われ続けているのです。現在の35㎜カメラの規格の大半はライカが作ったといえます。それほどすべてが最初にして画期的だったということです。


フェイスのかわいい三越デパート販売のアルゼン

 カメラで重要なのは①レンズ ②遮光された箱 ③ピント合わせの装置 ④そして最後にシャッタースピード装置です。最初期のカメラには絞りはなく、ピンホールという小さな穴だけで、逆さまですが像を結んだのです。あとは作品として、より精密な映像を残すためのレンズと感光板、後のフィルムが必要です。中でも一番難しかったのがすばやく、正確なピント合わせシステムでした。そうした様々な広い範囲の必要条件、要望を掌サイズに精密にコンパクトにまとめ上げたのがドイツのエルンスト- ライツ(1843~1929)と製作主任技師のオスカー・バルナックでした。彼らによって製作設計されたのが、かつてないレンジファインダーカメラでした。近くの対象、遠くの対象にすばやく焦点を合わせるために、人や動物は二つの眼で距離を計る三角計測方式を自然のうちに体に備えて使っています。この理論の応用から、ライカのカメラの上部には小さな丸い窓が二つついており、その二つの丸い窓を通して見られる映像をプリズムとギアを使って一つの窓に重ね合わせ、それをカメラのレンズとフィルムの距離に連動させたレンジファインダー方式を発明したのです。この画期的な発明による「ライツ社のカメラ」ということから、ライカと命名されました。このライカでは、最近の自動焦点カメラいわゆるバカチョンカメラではできない、狙った毛一本のピント合わせが瞬時にでき、求め得る最高のシャープな映像が確実に得られるのです。今でも人間の意図する意思とカメラの確実な精度が見事に連携できる最高のシステムがライカのレンジファインダー方式と断言できます。私の使ったM5もこのレンジファインダー方式で、ものすごい精度でした。


軍艦部にレンジファインダーの2つの丸窓を持っている

 ここまでくると、ライカだけでなくハッセルブラッドについても触れたくなります。スウェーデンのハッセルブラッドは6×6フィルムの最高機種とされ、アメリカのNASA が世界初のアポロ月面探査の折りに使用しました。あの有名な月面からみた地球の写真は私のハッセルブラッドと同じワインダーの付いた機種553ELXで撮影されたものです。当時カメラマン垂涎の的のカメラでしたが、二つの眼を持たないため、瞬時のピント合わせに難があります。これは慣れもあるかもしれませんが、絞り込んで、ピントの精度を上げる被写界深度を利用して、ライカとの「誤差」を勘で調整するしかありません。絞り込むと背景のボケがシャープになり、味の悪い写真になります。絞り込まないでピントを合わせられる眼のよい人にはいいカメラだと思います。無限大にピントを合わせた月面からの撮影には中型カメラの細部の描写は最高の力を発揮でました。


王者の風格 月面で活躍したハッセルブラッド553ELX

 これまでに集めたアンティーク・カメラを今もいくつか持っており、触れているうちにまた撮りたい、という気持ちが沸いてきました。日本骨董学院の経営に専念していたためカメラからしばらく離れていましたから、今になって子供のころから好きな場所の素晴らしい四季の自然を様々な古いカメラを通して撮影したいと思うようになりました。夢のような話ですが、一生の思い出にただ一度の写真展を開催できればと思っています。

 カメラは古美術と同じように私を導き、あらゆる感性を育て、今も、これからも楽しませてくれるよき人生のパートナーのような存在になったのです。

掌(てのひら)の骨董
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