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掌(てのひら)の骨董

日本骨董学院・学院長
東洋陶磁学会・会員
日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男

掌の骨董106.金銅十一面観音菩薩像(鎌倉時代)


金銅十一面観音菩薩像(鎌倉時代)

 今回は私の好きな、22cmほどの高さのある、極めて珍しい岩座の銅台座付き金銅十一面観音菩薩像(鎌倉時代)に登場してもらいます。

 ご存じのように、金銅十一面観音菩薩像(鎌倉時代)の金銅とは銅に金を水銀に溶かし込んだ水銀カマルガム法により鍍金(金メッキ)したものを指します。

銅はそのままですと柔らかいので、錫と混ぜると「青銅」となり、強度が増します。この合金のことを言います。

また、銅と亜鉛の合金で、別の名を真鍮ともいいます。

さらに知識を深めていただくために、日本刀の刀装具で、徳川将軍家や大名クラス、豪商の持つ刀や短刀を飾る最高の渋い色合いを醸し出す金属は「赤銅」と言われ、銅に金と銀を加えた合金からつくられます。その比率は銅に金3~4パーセント、銀約1パーセントを加えた合金であり、硫酸銅・酢酸銅などの水溶液中で煮沸すると、紫がかった黒色の美しい色彩を示すので、日本では古くから金工により制作されてきた紫金(むらさきがね・烏金 うきん)などとよばれ、極めて高価であるとともに重用、愛玩されてきました。ツヤのない、無光沢の、渋い黒です。


赤銅に金象嵌松図縁頭(加賀象嵌)

 金属製品の中には赤銅のように、日本最高の美学にかなう、渋く高価な金属があります。まあ、今回は仏像でもありますから、豪華よりは長持ちすることを優先した合理的な考え方が重んじられた武家政権「鎌倉時代」の仏像となります。鎌倉の前の平安時代は「あはれ(ものの情緒、はかなさ)」を重んじた高度な貴族文化が栄えましたが、次の鎌倉時代はやや反動的な合理的武家文化に変化しました。武士は戦いを本業とし、心構えとしてはいつ死ぬか分からぬという境遇に置かれ、精神的にも「他力」を廃し、「自力」を重んじました。守ってくださる他力本願の阿弥陀如来から、自力すなはち自分が自分を守る、いわゆる自力本願の禅宗的な精神性からさらに合理的な思考能力を養う方向性に向かいます。それは戦場で「死」から我が身を守る唯一の方法、すなはちより強固に自分を敵刃から、矢から守るかという「合理性」に向かいます。我が身は自分以外には守れない、物理的にも、精神的にもそうした考え方に発展します。

 貴族の時代である平安時代の仏像は肩や腰のラインは柔らかい線が美しく、雅で優雅な仏像が流行りました。次の鎌倉時代には、その反動から武士の力強さとそれを支える合理的思考に重きが置かれるようになり、強い仁王像や人間臭いというか、理想主義を脱却した現実の姿を見つめる方向に武士たちの眼は向かうようになります。運慶の彫刻のように、極めてリアルな作品が作られるようになります。このように時代の風潮は「鑑定」には大切なことなのです。


鎌倉時代の運慶作、リアルな老いた「重源上人像」

 今回の「金銅十一面観音菩薩像(鎌倉時代)」も優しいお顔ではなく、肩も張り、顔つきも無表情で思惟的です。十面の化仏も簡略化、合理化され、いかにも鎌倉時代的です。

 ここで金銅仏の作り方も重要な鑑定のポイントですから勉強しましょう。
 次の写真は金銅仏の作り方をわかりやすく図にしたものです。


図1 鋳造仏の作り方(拡大してご覧ください)

(1) 鉄や銅でできた芯がねに粘土を巻き付け、目指す仏像の概形を作ります。
(2) 六角形の蜂蜜の巣を溶かした「蜜蝋(みつろう)」をそこに掛けて冷やします。掛ける厚さは作品の仕上がりの大きさによりますが、本作では4ミリ~5ミリ程度で、台座などは10ミリ越えるところがあります。固まった蜜蝋に彫刻刀や熱く熱したコテを使い、完成形を目指し仕上げを施します。柔らかいし、失敗しても修復しやすい。顔の側面や胴の側面、背面に「型持ち」をいれます。これは後程解説いたします。
(3) 完成した彫刻に細かく、熱に強い粘土をしっかり巻き付け、頭の部分に余分な銅を出す湯口を作ります。
(4) 完全に乾いたら、火にかけて蜜蝋を溶かし流します。その時に蜜蝋が溶けて流れから、その部分が空洞になり、(1)の芯である土の概形がガタガタと不安定になります。その概形を固定して、空間を保持するために「型持ち」がひつようで、次の完成形の写真の頭や耳の後ろに丸い穴がいくつかありますが、これが型持ちの跡になり、必ずあるか、埋められた跡として確認できます。


耳の上と下に型持ちの小さな穴が見える。鑑定のポイント。

(5) 頭を下にして、いよいよ溶けた銅を注ぎます。中の空気は湯口から出て、銅は満遍なく作品の中に注ぎこまれます。
(6) 完全に固まったことを熱で確認してから、粘土の型を壊し、中から作品を取りだします。
(7) 最初に入れた芯金を引き、中の土を掻き出します。本作写真の型持ちの穴は中の土が固く焼き付き、取れなく諦めたような跡になってます。
 この「蝋型鋳造法」は古代インドの技法で、それがチベットや中国、タイ、カンボジアを経て日本の飛鳥時代に止利仏師により飛鳥大仏が作られた歴史になり、さらに奈良東大寺大仏に応用され、進化発展してゆきます。


この写真に図1の心棒がそのまま固まり、引き出せぬまま残る貴重な作品。

 観音菩薩は、衆生を救い、すべての人の願いをかなえる慈悲の仏とされます。十一面観音菩薩は頭にたくさんの、無限のあらゆる方向を観て、無限の人々を救う仏様ですが、左の手に「水甁」を持ってます。水は罪を浄めるとされますが、これは大変奥深い歴史を持ち、ここでは語り尽くせません。またの機会にお話出きればと思います。


鎌倉時代らしい体配とお顔

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