愛知県共済

インターネット公開文化講座

文化講座

インターネット公開文化講座

掌(てのひら)の骨董

日本骨董学院・学院長
東洋陶磁学会・会員
日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男

掌の骨董53.備前國住長船与三左回衞門尉祐定の鎧通


備前國住長船与三左回衞門尉祐定の鎧通

 今回は少し趣を変えて、私が高校生の時に虜になった「日本刀」の魅力についてお話したいと思います。私は高校3年生の時に東京上野の国立博物館で刀剣を観て、これは勉強しなくてはならないものだと思いました。それには伏線があり、小学校4年の時に、父に連れられて黒沢明監督の出世作の一つ「蜘蛛巣城」の映画を観て日本美術、特に刀剣、武具の美しさに惹かれました。

 白黒の映画でしたが、シェークスピアの「マクベス」をベースにしつつ、日本の戦国時代に置き換えて、そこに能の世界を取り入れた素晴らしい映画でした。小学4年生の脳裏にその映像はしっかりと焼き込まれ、それ以来その映像は私の頭から離れることはなく、現在に至っています。三船敏郎の出世作で、エリザベス女王も称賛した映画です。私は「七人の侍」より、緊張感の持続した名作として、より高く評価しております。特に最後の場面は、主演の三船敏郎は撮影中、恐怖のあまり死ぬのではないかと思ったと語ったほど、映画史に残るリアルな撮影手法であったと思います。


蜘蛛巣城の映画宣伝ポスター

 そんなことから、国立博物館で観た刀剣の美が、私の中の何かを刺激したのでしょう。案内所の女性に「刀剣の勉強をしたいのですが、どうしたらいいですか?」と尋ねました。すると刀剣担当の学芸員を呼んでくれて、彼から「日本美術刀剣保存協会主催の刀剣鑑定会」に出席すると良いだろうとアドバイスを受けました。今考えるとそこがすべての始まりでした。

 以来、刀剣鑑定の勉強に打ち込みました。おかげで大学受験で2年浪人しましたが、人生の大きな転機のきっかけを得られましたから、後悔はありません。幾つかの刀剣同好会の鑑定会を通じて、日本を代表する刀剣鑑定家の飯田一雄先生を知り、先生の教えを受けるようになり、以来これまで長きにわたりご教授いただいております。

 一般的に日本刀は平安時代末期に出現して、それ以後主流になった反りのある片刃の刀剣のことをいいます。太刀、刀、脇差、短刀に分類されますが、現在太刀、刀は60センチ以上、脇差は60センチ以下30センチ以上、短刀は30センチ未満をいいます。太刀と刀の違いは「銘」の入り方によります。刀は刃を上にして腰に指して、外側からみて表側に銘が入る物を「刀」といいます。太刀は刃を下にして腰に佩び、差し表に銘が入るものをいいます。ですから古来、太刀と刀は作者銘が表裏逆に入ることになります。長い刀を身に着けるには刃を下にして腰に佩(お)びるのが、抜くのに適しています。刀は刃を上にして腰に指すと長い刀は抜きにくいのですが、逆に短ければ抜き打ちざまに相手を斬れる特性があります。故に瞬時に相手を切る居合に適しています。

 中国北宋時代(日本の平安時代に該当)の詩人、欧陽脩は「日本刀歌」で、当時の商人が日本刀の美しさ、優れた切れ味について称賛しています。この頃から日本刀はすでに中国の好事家の認めるところであったらしいことが読み取れます。日本人の間ではつるぎ、ケン、という言葉が古くからありますが、一般的には「打刀」、「太刀」ということが多いようです。

 古くは古墳時代の稲荷山鉄剣のように雄略天皇の時代5世紀半ばの銘文の入った直刀もある。稲荷山の被葬者、オワケの君がワカタケル大王(雄略天皇)から拝領したという有名な銘文の残されている鉄剣もあり、日本の古代史に大きい足跡を残しました。


九州の装飾古墳内部

 この当時、鉄は大変貴重な金属であり、武器というより、鉄は眩いばかりの光沢を放つゆえに死霊、悪霊から死後の霊を守る護符的要素が大きかったと考えられます。私は昨年の秋に、九州の国東半島の磨崖仏と石仏群、熊本、福岡にまたがる装飾古墳の大半を観て回りました。そこで考えたのですが、刀剣を副葬する理由は、さまざまな事例から、死霊、悪霊から死後の霊を守る護符的要素が強いということを実感しました。もちろん悪霊を切り捨てるということもその目的であると考えられます。また霊は明るい光をさけると考えられたようで、シェークスピアのハムレットの事例では、クロンボー城でハムレットに会う父王の亡霊は日が出ると消えてゆくように、霊は明るい光、場所を嫌うのです。洋の東西を問わず悪霊は闇を好み、輝く光を嫌います。鏡と同じように、光を強く反射し、銅とは違ってより強い光を反射させる鉄の特性がそこにあったと考えられます。それゆえに多くの古墳に「鉄剣」が副葬されたのではないかと私は考えます。

 三種の神器は古来「刀、玉、鏡」ということになっているようです。共通点を考えますと、すべて光を反射させる特性、魔を寄せ付けない特性を持つということになるかと思います。鉄という貴重な金属は強い火で熱して精錬します。古来、火は神であり、さまざまな鉱物から金属が生まれてきました。特に鉄は強く、反射力は強いので、銅を凌ぐ力を得たのでしょう。強い故にそれが神の力を顕すものとして、神社に奉納されたり、お守り刀としての地位、すなわち「神」としての精神性を付与された歴史になるように思います。玉は古来、中国ではお守りとして信仰され、悪霊から身を守ってくれる力を持つとされてきました。ホータン(和田)の白玉はその最高のものとされ、歴代皇帝に大切にされてきました。ともに悪霊から被葬者を守ってくれる護符の役割が大きかったと考えられます。


諸刃部分

 今回の鎧通「備前國住長船与三左回衞門尉祐定」の短刀は、戦場で敵のとどめを刺す短刀で、実用本位に作られています。諸刃、即ち戦場での戦いの一瞬で相手の首を落とすために間違いがないように短刀の両方に刃がつけられています。片刃の短刀では刃のない方で相手の首を打つことは出来ません。自分の身を危うくする戦場では一瞬のミスも許されません。そうしたミスを犯さないように刃は両方につけられているのです。戦場での活躍と勝利が武士の生き抜く手段であり、子孫が繁栄する条件でした。それゆえ武具には細心の注意を怠りませんでした。通常の「祐定」の刀には俗名である与三左衛門尉は入りません。これが入るのは注文打ちの刀、特に君主からの特注品がほとんどです。故に俗名入りは少なく、しかも名刀であるため高額です。中でも「備前國住長船与三左回衞門尉祐定」は祐定一門では屈指の名工とされ、古来武将の間で珍重されてきました。私の拝見した、「備前國住長船与三左回衞門尉祐定」の最高作は、歴史上名高い武将「山中鹿之助」所持の刀で、身幅厚く、しかも最高の地鉄で鍛錬された素晴らしい出来で、現在は重要文化財に指定されているものでした。刀剣博物館の鑑定会に出されましたが、私は一発で作者の俗名まで当てた記憶があります。

 この短刀は恩師の飯田一雄先生からお分けいただいたものです。そうした若き日の思い出と思い入れがこの短刀、鎧通にあるのです。


須恵器(高杯)

 吉備地方には古来から「桃太郎の鬼退治伝説」があります。備前(吉備)地方は古墳時代のやきもの、副葬品である須恵器などの「火」を扱う焼き物産業が古くから根ざしています。その備前の人たちが鬼(渡来人)の持っている製鐵技術、当時奥出雲(島根県)にあるという純度の高い砂鉄「眞砂」(まさ)は最も純良とされ、それから精錬される「和鋼」をさらに精製鍛錬して最高の鋼「玉鋼(たまはがね)」を得ることが刀剣づくりに必須なのです。ですから、この技術を備前の人たちが渡来人から奪いに行く物語が桃太郎の鬼退治とみるのはどうでしょうか。鉄の持つ霊力、強さには抜きん出たものがあります。鉄の持つ粘り強さ、どんなものでも裁断する切れ味と霊力。神としての力、こうしたすべてが「刀」を神格化したと考えられます。この備前國住長船与三左衞門尉祐定の鎧通は、そうしたすべての面で日本の歴史と信仰と精神性を考える上で重要な一面を宿す、思い出深い作品なのです。

掌(てのひら)の骨董
このページの一番上へ