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掌(てのひら)の骨董

日本骨董学院・学院長
東洋陶磁学会・会員
日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男

掌の骨董94.漢時代の辟邪(へきじゃ)


掌の黒石の辟邪

 私は昔から漢時代の文化や美術が好きで、石製品、漆製品、金属製品を集め鑑賞、研究してきました。本連載では29回目に漢時代の作品として、三尾の魚紋様の漆耳杯について書かせていただきました。今回は金銀赤黒の色彩感覚の強い漢時代の美術品の中でも、前期と思われる、この黒い石を使った辟邪(へきじゃ)について考えてみます。


辟邪の頭部正面

 まず私が漢時代が好きな一番の理由は、歴史家司馬遷(生まれは前145年説と135年説があり、没年は前87年と86年説がある)が生きた時代だからです。それと末期から次の時代に「三國志」の時代だからです。司馬遷は歴史の父といわれ、命懸けで仕上げた「史記」は素晴らしい作品で、「史記」がなかったら中国古代史は分からなかったといわれるほどです。司馬遷が活躍したのは偉大な専制君主、武帝(前156年~前87年)の時代で領土の拡大に力を注ぎ、国力の充実を目指し、匈奴と闘い続けました。その最前線で戦っていた武将の一人が李陵でした。李陵は少ない兵を良く使い、十万の匈奴に善戦しますが、刀折れ、矢尽き降伏します。国への忠義心の厚い李陵は全滅を選ばず降伏をえらび、敵国に連行されることから、敵情をつかみまたの再起の機会有らば戦う意思を持ってました。司馬遷は李陵とは知り合いで、彼の武将としての真摯な人柄を高く評価してましたし、なぜ全滅するまで戦わなかったのかと李陵の投降に怒る武帝に対し、司馬遷は若い友人をかばい、武帝に対し李陵を弁護しました。李陵の性格から思うに、彼は国を思い、敵情を得て再起するためにあえて降ったに違いないとイエスマンたちに囲まれた専制君主、武帝に堂々と反論し、李陵を弁護したのです。


武帝と司馬遷

 当然武帝は自分に楯突く司馬遷に激怒して、彼に死刑を言い渡しました。

 司馬遷は「史記」執筆途中で、いま死ぬのは余りにも無念であると考え、当時の慣例から、恥を偲びながらも死一等を免じる「宮刑」を願いでます。「宮刑」とは去勢される刑、すなわち男性の性器を切除して「男」でなくする刑です。宮廷の奥深い「後宮」に仕える「宦官」が受ける手術です。

 古くは名前から軍馬を司る家柄で、その後代々天文や歴史書編纂などを通じて正しき歴史をまとめる仕事に関わったと言われている一族として、誉高く生きてきた司馬遷はこうして国を思う若き武将をかばい、正義を貫いた挙げ句に当時として最大の生き恥をさらすことを選ぶことになりました。しかし代わりに「史記」の執筆に余生のすべてを捧げ、結果「歴史の父」と言われる偉大な業績を残すことになりました。


中島敦(中島敦全集・筑摩書房より)

 日本の作家の中島敦は漢学の素養ある家に育ち、その格調高い文体は一部の読者から熱烈な支持を受けています。私も好きな作家の一人です。その中島敦が李陵と司馬遷の間の信義と正義について書いてます。小説「李陵」です。人を信じ、絶対君主である武帝に対し、若き忠義の武人を死を賭して弁護し、自分のなすべき正義を貫く姿勢を描きました。人間には、保身から安全な真ん中にいる人たちが多いと言われますが、司馬遷のような清い心を持つ人が古代の専制君主国家の漢時代にいたことに心が浄化されます。私は長男に司馬遷のような心を持ってほしいという願いから「遷」と名付けました。

 さて、そうした古代漢文化や歴史から漢の美術への想いへの美術的傾斜が自分の中にありました。結果として漢の耳杯や玉製品、今回の黒い石の辟邪につながりました。


荒く削り取られた裏面

 古代メソポタミアからエジプトで崇敬されたライオンを彷彿とさせるグリフィンのように、鋭い爪のある足で立ち、胸を前方に堂々と突き出し、前脚を伸ばし、力強く飛びかからんばかりに後脚を曲げています。空想上の動物を思わせる翼の表現が姿を際立たせています。翼ある霊獣は古くはギリシャ神話のペガサスに由来し、その影響として古代東周以来の文献及び宗教に想像上の霊獣が多く見られるようになりますが、それらは秦漢時代には道教思想と不死とそれにまつわる悪霊排除の目的において、大変重要な役割を果たしたと考えられます。この時代には、同じように魚や龍のように鱗をもつ霊獣の姿が多く、王や貴族が身に着ける玉および金銀の装飾を施した青銅で作られました。


漢時代後期の漆魚紋耳杯

 死後の安息と道教の神仙思想への傾斜が強く意識されているように思われます。そうした理想郷への憧れは、かつて専制君主が権力を得る過程で排除したり殺戮した敵たちの怨霊、魔神なる悪霊や鬼神から自分を守る力強き霊獣を必要としたのです。千里を走り敵を倒し、かつ自分を守る天馬や麒麟のような聖獣が思い描かれました。今回の黒石の辟邪もそうした王や貴族たちの理想郷への道程を守る聖なる猛獣と考えられます。


漢時代の官人像

 それらは専制君主たちが死後に住みたいと願った仙人の世界を立体的に再現した中に棲息する、異世界の動物たちを意味したと考えられます。

麒麟(きりん)・天禄(てんろく)

 中国にはもう二種類、辟邪と似た霊獣がいます。麒麟と天禄です。麒麟はビールのラベルでも有名で、不死を願う鳳凰と比される瑞獣です。その顔は龍に似て、そこが他の霊獣と違い、姿は獅子に似るとされ、有翼、長い尾を持つ神獣です。他に通常は一角を天禄、二角の方を辟邪と呼んでいるようです。


辟邪の翼部分

 現在この私が大切にしてきました「辟邪」は次の世代に大切にしてくださる方の元に嫁入りして、美術品のたどるべき永い幸せな道を歩み続けています。

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