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掌(てのひら)の骨董

日本骨董学院・学院長
東洋陶磁学会・会員
日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男

掌の骨董93.古墳時代の大王クラスの金耳環(耳飾り)


掌の金耳環

 私はこの金耳環を18年前に友人の古美術商にお願いして分けてもらいました。それまでに集めたどの金耳環よりも太く大きいものだったからです。金の状態も極めて良く、緑青の状態も自然で、保存も好ましく気に入り、入手したものでした。


金耳環拡大写真・裏・表

今回の金耳環のデータ。
今回はこの金耳環についてお話したいと思います。
この私の金耳環のデータは

   重さ33グラム
   最長幅36ミリ
   最短幅32.5ミリ
   太さ8ミリ

という姿をしています。やはり一般的な金耳環の大きさよりかなり大きく、太いです。


藤ノ木古墳全景

 類品として私の見るところ、藤ノ木古墳出土の2つの金耳環に大変よく似ています。時代は古墳時代6世紀後半の580年ころから590年ころと推定されます。

藤ノ木古墳出土
北側被葬者の金耳環(銀素地に金)

 A環 最長幅35.6ミリ
    最短幅33.7ミリ
    太さ7.5ミリ
 B環 最長幅34.1ミリ
    最短幅28.7ミリ
    太さ7.6ミリ

南側被葬者の金耳環(青銅素地に金)
 C環 最長幅35.2ミリ
    最短幅31.6ミリ
    太さ9.4ミリ
 D環 最長幅35.1ミリ
    最短幅30.4ミリ
    太さ8.9~10.7ミリ


藤ノ木古墳・開棺時の石棺内部写真

 藤ノ木古墳は、極めて珍しい男性二人の合葬墳(大きめの棺の北側と南側に埋葬)で、副葬品を詳細に検討すると、二人に若干の身分差があることがみてとれます。埋葬位置も北側は不動の天子が北斗星を支配する方位であり、南側よりは北側の方位が身分は上といえます。金環の素材も北側の被葬者のものは銀素材に金であり、南側は銅素材に金と微妙に違い、大きさも微妙に北側が大きいことが分かります。

 現在、藤ノ木古墳の被葬者は二人の男性と分かり、歴史的に蘇我対物部の権力闘争(587年・用明天皇の没後すぐ)の過程で蘇我馬子により戦いの前に暗殺された実力者の二人、一人は穴穂部皇子(あなほべのみこ・欽明天皇の子で、同母の姉は聖徳太子の母の用明天皇妃)であり、物部守屋から次期天皇と決められた重要人物。その親しい仲間の宅部皇子(やかべのみこ・宣化天皇の子・穴穂部と親しかったため、物部側とみられ共に暗殺されたと推測される)。当時、蘇我馬子と対立したとされる権力者の物部守屋は秘密裏に懇意の穴穂部皇子を次期天皇と決めていた。その情報を漏れ聞いた蘇我馬子は急遽、穴穂部と、穴穂部と仲が良く、実力者でもあった宅部(やかべ)皇子を暗殺したのだと考えられます。

 結果、リーダー的存在の若手の実力者二人が暗殺されたため、士気の落ちた物部氏対蘇我氏の戦いは蘇我氏の大勝利に帰したことから、藤ノ木古墳は日本史上、蘇我氏(聖徳太子側)が権力を奪取する過程で極めて重要な事件の上に成立し、しかも盗掘されていない極めて希な古墳であることが最大の魅力といえます。

 副葬品はこの金環以外もすべて桁違いにすばらしく、現在一括国宝に指定されています。特に馬具である「鞍」は必見で、東アジア最高クラスの鞍です。ガラス玉類の美しさも比類なく美しいもので、是非ご興味を持たれた方は、奈良県立橿原考古学研究所附属博物館に陳列されている発掘品を是非見学してほしいです。

 日本において、黄金は宮城県桶谷町付近において749年に金が確認されたのが始まりだと言われていますから、それ以前はあるいは輸入していた可能性もあります。

 世界史的に金は黒海東海岸に隣接したグルジア南部の採鉱活動の歴史から始まり、年代的には青銅器時代初期、紀元前4000年紀にさかのぼるとされています。その後、ファラオで有名なエジプトでは紀元前1300年頃からヌビア(現エチオピアあたり)で金鉱の採掘を始め、高度な技術を発展させました。実際、古代エジプトには、金についての多様な記述が残されており、我々はツタンカーメン王(紀元前1341年頃生まれ - 紀元前1323年頃死亡)の副葬品、古代エジプト第18王朝のファラオ(在位:紀元前1332年頃 - 紀元前1323年頃))の遺品から極めて高い希少性と価値を有し、権威の象徴として金が重視されていたことを知りました。そのおり、すでに色や純度、産地によって区別されてきました。その過程で金が錆びないこと、さらに希少性と不変の輝きを保つことから、霊魂の不死、生命の不死を願うエジプト人たちには特別な呪術の対象(明るい金の朽ちない永遠の光は死後の暗闇や魔を祓うとされた)としても金は進化をとげました。


藤ノ木古墳出土の金耳環(発掘時)

 今回、掌の骨董のこの金耳環はまさに藤ノ木古墳出土の北側被葬者(推定・穴穂部皇子)の金耳環より0.8ミリ大きく、当時の大王レベルの金耳環といえることがわかりました。


橿原考古学研究所附属博物館に展示の金耳環

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