愛知県共済

インターネット公開文化講座

文化講座

インターネット公開文化講座

掌(てのひら)の骨董

日本骨董学院・学院長
東洋陶磁学会・会員
日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男

掌の骨董69. 唐三彩と則天武后


美しい唐三彩の小鉢

 古代から中世への時代に制作されたやきものの中で、姿や形は未熟ですが、私は色彩的に唐三彩(674年から705年ころに制作)が一番華麗で美しいと思います。美しいということは個人的感覚で、表現できない部分と主観的な部分を伴っていて、なぜ美しいと思うのかは観る人たちの個人的経験や愛好した年数、感性によるものだと思います。もちろん誰が観ても美しいものもたくさんあります。縄文時代の土器も私には美しいし、地味な須恵器もとても好きです。お茶の「侘び・寂び」も素晴らしい世界です。しかし「唐三彩」には当時として画期的な美しさがありました。それは色彩のハーモニーです。釉薬が混ざり合う美しさがそこにはあります。日本人は伝統的な日本料理において「混ぜる」という作業は好きではないようです。魚などの食べ物でも古来単独で塩を振り掛けて焼いて皿に盛り、刺身も生で味わっていただきます。中国はチャーハンなどのように、いろいろな具を混ぜて味付けしてその複合された味を楽しみます。炒め物にもそうした傾向が強いです。同じ陸続きの西洋でも同じです。ソースという独特のものがシェフの才能によって極められます。素材ではなく、シェフによる味付けが重視されます。この特色が唐三彩によく出ています。色が混ざると思わぬ美しさが作り出されます。日本の奈良時代の三彩「奈良三彩」は色が別々に着色されて、混ざるということを故意に避けているように感じられます。ここにいみじくも日本という島国と、中国、ヨーロッパという大陸文化との違いを見ることができます。


釉薬の混ざり具合が美しいハーモニーを奏でます。

奈良三彩の色合い。

 唐三彩には白い土と鉄分を含んだやや赤みに変化する土があります。その土を使って作品を作りやや硬めに素焼きします。「素焼き」という技術も日本では17世紀の時代に導入された技術で、そうした技術的な面ではかなり進んでいたということになります。三彩の釉薬は透明な釉薬での地の白色、鉄分などの発色による黄色か茶色、銅の発色による緑が基本です。そこに当時は極めて高価な酸化コバルト、すなはちのちの呉須、藍色の呉須が入ると「藍彩(らんさい)」という呼び名にかわります。高価な呉須、これは当時、呉須の産地はペルシャ(現在のイラン)でしたから、かなり遠い国でしたから、シルクロードを運ばなければ中国へは輸入できませんでした。それゆえに大変高額な顔料でした。金と同等に取引されたともいわれています。


藍彩の盃

 則天武后(624年~705年)は最初、唐王朝創建皇帝李淵の息子の太宗の後宮にはいりましたが、彼女は聡明過ぎたため遠ざけられ、そして後にその息子の高宗に寵愛されるようになり、さらに皇后へと昇り詰めて権力を得ると高宗の元側室と元皇后を庶民に落としたうえで処刑するなど、残虐な面を見せ、恐れられました。


則天武后

 そうした中、彼女は美しい三彩のやきものを愛して、進んで制作させ愛でたといわれます。しかし製作途中で陶工たちが体調を崩し、倒れる者が続出し、その使用を禁止しました。釉薬が鉛を中心に調合された、いわゆるクリスタルガラスでした。そのため今でいう鉛公害が発生したのです。制作時に危険なガスを発生させたのです。美しい三彩の陶器は危険なものとして使われないこととなり、死後の世界へのいわゆる副葬品であるなら問題ないであろうということから、もっぱら副葬品として墓室に持ち込まれ、冥界へのお供をすることとなりました。

 それゆえ、最近の都市開発の影響で発見された唐時代のお墓からたくさん発掘されることとなりました。それら三彩の作品群は汚れ、クリスタルガラスの風化である虹彩(こうさい)や銀化(ぎんか)という劣化が大いに進み、劣化を好まない中国人の気質に合わないものが多かったようです。反対に日本人はそうした時代の変化や風化の美しさを敏感に感じ取り、愛玩するようになり、多くが日本に輸入されました。


虹彩

銀化

 あまりに日本人に珍重されたので値段も高騰し、ために偽物が多く作られるようになりました。現在そうした贋作はネットオークションや店にも並び、多くの骨董マニアを悩ませています。偽物は貫入(ヒビ)に囲まれた地の面積は大きく、荒いものとなります。反対に真作は貫入に囲まれた地の面積が非常に細かく、40倍のルーペで観察しないと肉眼ではわかりにくいくらいに小さいです。また先ほどの虹彩(釉薬の表面が虹のように七色に輝く)と銀化(これも釉薬の表面の虹彩が進み、さらに銀色に美しく輝く)が出ます。唐三彩の見どころです。贋作の銀化は薬品でそれらしく作られます。しかし本物の銀化にははるかに及びません。

 私はかつてシルクロードの要衝、現在人種問題になっている新疆ウイグル自治区のトルファンにあるアスターナ古墳群を見学した折に、墓道の両壁面に掘られた石の窟にたくさんの唐三彩の作品が副葬されているのを見学したことがありました。

 先日も名古屋の栄にある中日文化センターの講座で、唐三彩の鑑定方法について再度お話して、多くの本物作品と贋作作品をみなさんにルーペで比較して観てもらいました。やはり比較するとよくわかるようです。みなさん盛り上がっていました。


副葬されていた唐三彩の大皿と盃たち。
掌(てのひら)の骨董
このページの一番上へ