愛知県共済

インターネット公開文化講座

文化講座

インターネット公開文化講座

掌(てのひら)の骨董

日本骨董学院・学院長
東洋陶磁学会・会員
日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男

掌の骨董71. 鼠志野立ぐい飲み


写真①・鼠志野・立ぐい飲み

 もう50年くらい前の話になります。刀剣の勉強に自分なりの終止符を打ち、日本の古陶磁器の勉強に興味を感じ始めた頃のことです。ブームの美濃古陶や茶陶は高嶺の花であり、サラリーマンの小遣いで買えるものではありませんでした。ですから手軽な古瀬戸や須恵器の勉強から始めました。瀬戸黒や鼠志野は陶片すら手に入りにくいものでした。その5年から6年前までは美濃の五斗蒔街道の大萱あたりのゴルフ場付近の道の両側にバラック小屋が立ち並び、志野や織部の茶碗などの大きめの陶片を1000円から1500円で売っていました。そのころの私は刀剣の勉強に熱中していて、古陶磁器には興味がなかった時代でしたので、今考えると大変惜しいことをしました。夢のような時代がありました。


写真②・国宝志野茶碗「卯の花垣」(三井記念美術館所蔵品)

写真③・私の愛蔵する桃山時代の鼠志野向付。
上の国宝「卯の花垣」と同じ垣の絵が入ります。同じ窯の作品と思われます。

 さて今回勉強する「鼠志野」は一般の志野作品に比べ、3倍から5倍高価です。美術品の価値は美しさですが、手にいれるにはまあ金銭に換算しないと難しいですね。ですから今回はリアルな金銭の話が登場しますことをお許しください。

 「鼠志野」は美濃特有の柔らかいベージュ色の荒い「百草土(もぐさつち)」か白い細かい五斗蒔土に鉄釉を掛けて、半乾きの時に釘の頭のような道具で釉薬を引っ掻いて下地を出して絵を描く、いわゆる掻き落しの技法にて白く反転させた絵を描く技法で、そこに白い長石釉を掛けて焼きます。普通は白いボディに筆に鉄釉をつけて絵を描きますが、鼠志野の場合は、鉄釉にたっぷり浸けた黒地に白い線で掻き落として絵を描き出します。鉄釉は通常焼くと茶色か、高温で焼いて急冷すると、締まった黒色になります。
 その浸した鉄釉を引っ掻いて白い絵を描き出し、白い長石釉を掛けて焼きますと、鉄釉の黒に白い長石釉がかかり、中間の鼠色になります。そのため「鼠志野」と呼ばれ、更に数が少なく、ために茶人に珍重され取引価格も高額になりました。私は現在鼠志野は、陶片を除き三品所有しています。


写真④・出光美術館所蔵品とまったく同じ鼠志野の桃山時代の向付(筆者所蔵品)

写真⑤・出光美術館のカタログに掲載された鼠志野向付

 この「鼠志野」の掻き落としの技術は李朝鶏龍山系の技術を美濃が継承したものと考えられます。日本には古来から朝鮮系ないしは大陸系の陶工や技術者がたくさん来ていたようで、その一番古いのは縄文時代、弥生時代にさかのぼる交流があるようです。さらに鶏龍山系の技術は中国の北宋時代の磁州窯の掻き落としの伝統を継承していると推測されます。すなわち、磁州窯→李朝鶏龍山系窯→美濃鼠志野という壮大な時代と空間を経由した技術と美的感性の伝播といえます。こうした白黒反転の感覚が夜の美的世界を芸術的にさらに高め、喚起させたともいえます。足利義政による夜の建物「銀閣寺」。義満による「金閣寺」が昼、太陽、黄金、明の世界であるならば、義政の「銀閣寺」がその反対の世界すなはち夜、月、黒、暗の世界であることが、新たな芸術世界の出現につながるといえます。鼠志野、黒茶碗、織部黒、黒織部、そして夜の茶会である「夜咄」、さらに黒楽茶碗への発展は、まさに秀吉の絢爛たる黄金の桃山文化の反対を目指す「反逆の美学」ともいえるのです。


写真⑥・筆者の好きな瀬戸黒茶碗
真っ赤に焼けた作品を水に投げ入れたため、急冷された鉄釉が黒く締まるとともに、
はじけ飛んで荒々しい景色となり、茶人に愛された。

 利休、織部という「茶人」がなぜ「切腹」しなければならなかったかは、またの機会にお話しいたします。
 いずれにしても鼠色、黒色の世界は「革新」であり、新たな美的時代の到来を告げるものでした。


写真⑦・鼠志野立ぐい飲み
鼠志野の桃山時代の向付をぐい飲みに見立てたもので、類品を見たことない珍品です。
特に月に照らされた花が美しい。

写真⑧・本阿弥光悦と俵屋宗達の合作になる短冊。近衛家陽明文庫伝来品。
新古今和歌集398番の秀歌、作者・藤原秀能
「あしひきの 山路の苔のつゆのうえに ねざめ夜ふかき月をみるかな」
(筆者による意訳・山路を越える旅人が、疲れたからだを苔の上に横たえていたら、深夜になった。
ふと目覚めると、枕もとの苔の上の夜露にキラリと月の光が映って、なんと美しいことか)
唸るような、なんと素晴らしい新感覚派の歌でしょうか。
作者の感動がストレートに伝わる臨場感たっぷりの秀歌です。

 このぐい飲みの白い花と同じように、宗達による雲母摺りの月に照らされた花の上に光悦の書が舞います。まさに鼠志野の世界を思わせる、美の饗宴、合作の名品と思います。

●参考資料(古美術品の価格は需給、世の中の好不況により決まりますから、あくまでも目安、参考です。)
③の時価・修復があるため、150万円
④の時価・東京日本橋の古美術商の店頭の同類品時価は600万円
⑥の時価・350万円~400万円
⑦の時価・販売の類例ないため不明(珍品・推定・修復あるため推定500万円)

 なお今月からこの愛知共済の連載の「趣味」コーナーで、旅について書かせていただくことになりました。あわせてお読みいただければ幸いです。


写真⑨・「能」(山路能の「能」)筆先の毛一本でさらりと書く光悦の神技。
掌(てのひら)の骨董
このページの一番上へ