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掌(てのひら)の骨董

日本骨董学院・学院長
東洋陶磁学会・会員
日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男

掌の骨董78. 「平安の阿弥陀如来トルソ」


平安時代の阿弥陀如来トルソ

 コロナ禍の中、オリンピックが開催されるようです。オリンピックの発祥はギリシャですが、ギリシャの神々は人間くさく、到底神とは思えない神がいたりします。ギリシャ神話最高神のゼウスにしても、女クセが悪く、たくさんの女性たちや人妻を奪って自分のものにしてます。まあ豊穣とか豊かさのシンボルだとひいきする見方もありますが、どうでしょうか。現実は反対だったから、美男美女を作り上げたのではないか、という穿った見方もあるみたいです。トロヤ戦争にしても美女を巡る争いから起こりますから、何とも人間くさい人たちであることは確かみたいです。ドイツの戦争学者、クラウゼビッツは「戦争は経済的理由でしか起こらない」と言ってますから、彼の主張を基準に考えれば、女性をめぐっての戦争なんか、あり得ないし、すべて作り噺だということになりますね。


ギリシャの美しい女神像

 人間は大なり小なり罪を犯す不完全な存在ですからその分、理想を求めるのでしょうね。ギリシャでは肉体的に最強の人間が理想に近づくようです。鍛えると体は筋肉がまんべんなく付き、バランスの取れた美しい体になります。初期オリンピック競技種目はすべて戦いに関係した中から選ばれた武術です。速く走る、長い距離をいかに速く走るか、槍を遠くに投げる、遠くに飛ぶ、高く飛ぶ、組み合うレスリング、打つボクシング、速く泳ぐ、弓を射る等々で、すべて戦いの中から最優秀な戦士がオリンポスの神々に讃えられ、月桂冠を頭に載せ神に近づく晴れの舞台がオリンピックでした。彼ら勝利者は理想の体、美しい体を持っていました。その理想の体を彫刻して、神々の神殿を飾り、さらに女性の理想美を求め、有名な「ミロのビーナス」や「ビーナスの誕生」のような美しい女性像が生まれました。

 さらに遠いギリシャの戦士たちがモデルとして制作されたのが法隆寺の金堂四天王象です。着ている服の描き方や顔の表情にアルカイックスマイルなど、ギリシャ彫刻と酷似する部分があります。ギリシャから地球の真裏、極東の日本に伝わるまでに、民族の体型や表現様式が変わりました。


法隆寺四天王

 そうした理想から出発した中から神々が生まれますが、日本では自然が神という概念が縄文、弥生から引き継がれており、三輪山そのものが神であったり、古く太い御神木、巨石、岩座が神として崇められてきました。日本古来の「神道」です。太陽の神、天照大神をイメージした鏡が御神体として祭られました。


日本の国歌「君が代」にもでてくる「さざれ石」(京都・下鴨神社)

 そこに朝鮮半島から仏教が伝来します。西暦538年のことでした。仏教としての釈迦の教えは日本の風土にも、神道の自然崇拝にも馴染む「空」という思想が根本にあります。「空」は、永遠不滅の物はない、すべては変化するという真理を説いた言葉です。鉄も錆びて朽ちていきます。ダイヤモンドも高温で消滅します。地球も宇宙も日々変化しています。人間はどうでしょうか?まあ普通は100年にも満たないで人生を終えます。生まれて死ぬまで変化しています。死ぬ運命だからこそ長く生きたいと願うのが人情です。更に人々は死後自分はどこに行くのだろうか、と考えました。特に権力者、お金持ちの人たちは死後でも楽しく豊かに暮らしたいと考え、死後の世界を仮定して「あの世」と表現しました。


釈迦像(ガンダーラ出土・2世紀から3世紀)

 仏教の源流は最近のヨーロッパなどの研究ではインド・アーリア系語族、メソポタミア地方ではないかとされるようになりました。釈迦もそのルーツをたどると、純粋インド人ではなく、インド・アーリア系、すなはちメソポタミアから来た人たちということになります。エジプトも世界の四大文明の華やかな歴史を持っています。このエジプトに高度な「あの世」の思想が体系化され、仏教のお経の原点「死者の書」ができました。もっとも美しく、良い香りの蓮の花が死者に手向けられました。その影響は日本の寺院の瓦の紋様や観音様の持ち物、蓮の花に見られます。


蓮を捧げる供養者たち

 エジプトのナイル川は真ん中に流れ、地図で見ますと南から北に川は流れます。太陽は東から昇り、西に沈みます。彼らはナイル川の東側に住み、死ぬと川を渡り、墓と寺院、ピラミッドなどの宗教施設のある西側に運ばれます。そこで裁判を受けます。日が沈む西側があの世だったのです。まさに三途の川と同じ、というかエジプトに影響を受けて、ほぼ同じです。


薬師如来(平安時代・元興寺)

 朝日は誕生であり、仏世界では「薬師如来」の支配する世界は現世と考えました。夕日は死の世界に近づくこと、夜は死の世界「阿弥陀如来」の支配する世界と考え、そこでは生きている時の行いによって地獄と極楽浄土に振り分けられる裁判がありました。死ぬとその魂は裁判にかけられ、えん魔様が生前の行いを調べ、悪い人間は地獄に、良い行いをした人間は極楽浄土にと分けられました。それと同じことが、仏教よりずっとむかしのエジプトにありました。えん魔様のルーツはオシリス神とされました。まさに同じ、というより阿弥陀信仰そのものです。
 その良い行いをした人たちの霊がゆく極楽浄土の盟主が「阿弥陀如来」様なのです。南無阿弥陀仏という名号を唱えるだけで阿弥陀様が極楽浄土に導いてくれるとされています。「南無」とは無条件に帰依します、という意味です。「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで、誰でも極楽浄土に行けると説いたのが空也から法然、親鸞の浄土宗、浄土真宗の流れです。


親鸞御影

 今回の阿弥陀様のトルソ(胴体だけの彫刻)は最も阿弥陀信仰が盛んだった平安時代の作品です。皆が死後に極楽浄土に行けますようにとこうした仏像に祈ったのです。


阿弥陀如来立像(平安時代)

 阿弥陀様の古いルーツと平安時代の胴体だけでも美しい仏様がおられるということを、この機会に是非ご理解していただきたいという願いをこめて書きました。

 仏像の素晴らしい作品は、奈良国立博物館の「なら仏像館」にたくさんの名品が展示されていますから、関西においでになりましたら是非拝観していただき、日本美術の頂点とされる仏教美術の世界を楽しんでいただき、素晴らしいと思われたら、仏教の奥深い思想を勉強してみてください。


枯れた味わいの阿弥陀如来(平安時代)

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