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掌(てのひら)の骨董

日本骨董学院・学院長
東洋陶磁学会・会員
日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男

掌の骨董57. 大黒天・小像


大黒天

 今年の1月に、生まれて以来長く住み慣れた古巣の東京・中野を離れ、神田に引っ越してきました。いつも決まってガラスケースから私を見守ってくれてきました大切な大黒天について書いてみます。まさに掌の骨董というべき小ささです。

 この大黒様はいつ私のところに来られたかは、自身の記憶にないくらい古いです。奥行56ミリ、横47ミリ、高さ57ミリという小ささで、長い時間竈(かまど)の煤にさらされたため顔が見えないくらい、厚く煤が付着してます。時代を経ている証拠に驚くほど軽く、檜材は枯れきっています。私が出版社二社に勤務していた頃にはすでに私の家におられましたし、骨董露店修行したときも御守りとして小さいながら中央に鎮座して私の修行を見守ってくれて今に至ります。露店では何回も売って欲しいと言われましたが、私の御守りですからとお断りしてきました。
 かすかな記憶をたどると、やはり大学生のころ、中野ブロードウェイで古美術商を始められておられた私の古美術の恩師であり、画家の武田二郎先生から譲っていただいたとしか考えられないのです。


生前にいただいた武田さんの自画像。
即興的に描いたペン画

 私が18歳で、大学受験生だった頃に武田先生は中野に店を出されました。戦前、武田さんは世界的に有名なレオナルド・フジタ(藤田嗣治)のお弟子さんでしたが、戦後フジタが日本画壇から離れ、フランスに移住したため、画家としての将来をあきらめ、古美術商に転身し、その時は都知事の青島幸男氏や有名人、歌手が住んで、都内でも有数の新築豪華マンション、ショッピングモールとしての中野ブロードウェイの4階に新たに店を出されたばかりでした。その出会いのころ、私は刀剣鑑定についてばかり勉強して、大学受験勉強がおろそかになっていた頃でした。
 中野ブロードウェイ4階の店に毎日のように通いましたが、そんなある時、武田さんは「これは室町時代の仏師の手になる、小さいけどいい大黒天だから、持ってなさい」と言われて、譲っていただいたのだと思います。確かに今観ても丁寧で作行きも良いし、今まで大切にしてきたことを考えると、武田さんから譲っていただいたとしか他に考えられません。

細い丸のみにより丁寧に美しい曲線に仕上げられた
頭巾と背負った富袋(小さい丸のみ仕上げの仏像は
鎌倉時代から室町時代に多い)手に握った袋の端に、
飛鳥時代の襞の様式である裳懸座様式が彫られていて、
古格がある

 大黒天はインドではマハー・カーラという財神、竈神として、袋には七宝を収め、ルーツがギリシャ神話のメルクリウスという商売、財貨の神(ローマではマーキュリー)がインドではマハー・カーラとして生まれ変わったとされます。


「ギリシャ神話のメルクリウス」
手に財貨の袋を持っている

 もともとメルクリウスは水銀を象徴とする神であり、毒でもあると同時に長寿の妙薬でもあり、諸対立を一つに結びつける徳性があり、それが貿易、財の神のマハー・カーラと一体化して、さらに黒、恐ろしいという意味のカーラが付与され、破壊と創造の最高神、インド密教のシバ神の影響を受け、その上ネパール、チベットを経て貿易、財貨の神に変質し、それがやがて日本に伝来して仏教的大黒天となったという複雑な経緯があると推測されます。大黒様はこのように外来思想の影響を強く受けた日本の古き神の1人といえます。釈迦によれば、財貨よりもっと大切なものは人の命です。その生命を維持する食事を司る竈(かまど)と、命の次に大切な財貨の神です。竃の上に祀られますから、煙にいぶされ、煤けて表情がはっきりしませんが、穏やかそうな表情が微かにうかがえます。


煤で覆われた大黒天

 足が長く表現された大黒は平安期の作が多い。


足の長い平安時代の大黒天

 かつてインドを旅した折りに出会った、よくあたる占い師が私の手相を詳細に観察して話してくれたことによると、私の守護神はシバ神とのことです。ですから、そのシバ神の化身がマハー・カーラ、すなわち大黒天となれば相性もいいはずです。私は占いは基本的に信じなかったのですが、あれだけ個人的なことを当てられると、その信念も揺らいでしまいます。
 大半の人生を一緒に過ごしてきた大黒様ですから、これからも一緒に過ごし、私を見守ってくれることでしょう。その占い師いわく、誕生石であるエメラルドがあなたの守護神だから、これを左小指にせよとのことでしたから、手持ちのエメラルドでカレッジ・リングを作りました。


マハー・カーラ
掌(てのひら)の骨董
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