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インターネット公開文化講座

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掌(てのひら)の骨董

日本骨董学院・学院長
東洋陶磁学会・会員
日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男

掌の骨董61. 李朝・鶏龍山鉄絵草花文耳杯


李朝鶏龍山鉄絵草花文耳杯

 前回は新年にふさわしい李朝白磁六角杯についてお話しました。白磁に関連して、儒教・朱子学の関連で、今回は朝鮮陶磁器のもう一つのジャンル、珍しい鶏龍山鉄絵草花文耳杯を取り上げました。この耳杯は飾り映えのする作品で、本棚に置いておくと燦然と光輝いていて、朝鮮人参の絵だと思いますが、よく合っているのです。上手な絵が裏表二面に描かれています。


描かれた鉄絵草花文

 朝鮮半島に朱子学(儒教)が伝えられたのは、高麗末期とされます。儒教は中国戦国時代の孔子の教えを朱喜が当世風に編纂したようです。孔子の教えは、秩序を重んじ、目上を敬うことを重視します。いわゆる孝養の序を大切にします。それは目上を重んじ、親を敬い、その延長線上に支配者である君主、王様、皇帝を大切にせよということが最終目的なのです。すなわち権力者が自らを守る体制を作ることに利用したとされます。


暗殺されそうになり、逃げる始皇帝(画像石・右)

 中国では初めて中国を統一した秦の始皇帝が儒教の本を焼き、儒学者を何百人と埋め殺しました(焚書坑儒)。日本では合理主義者の信長が権威仏教を毛嫌いし、比叡山をも焼き討ちしました。背景には金銭の問題がありましたが、それは神仏に頼らず自分は自分を自分の力で守るという力を信じたからにほかなりません。(蛇足ですが、全国統一をめざす信長は中国を最初に統一した秦の始皇帝に性格も似ていましたが、先人として始皇帝を見習ったように思えます)


私の愛する鶏龍山鉄絵徳利

 また人生の重みを背負って歩く苦労人家康は彼らと違い、一般の子供たちに寺子屋で孔子を教え込みました。長い時間、体制を維持できる儒教すなわち孔子の教えを模範として支配体制に組み込み、家臣以下農民に至るまで、未来永劫徳川家に忠誠を誓わせる布石に利用しました。徳川は260年続き、李氏朝鮮は中国に依存したとはいえ、500年以上の政権を維持しました。いずれも孔子の教え、儒教を奉じていました。


骨董学院の生徒さんたちと訪れた韓国にて

 もう数十年も昔の話ですが、韓国から要請文が日本政府に届き、李朝という言葉は使わないでほしい旨が書かれていたとされます。それ以後、日本政府は公的印刷物、教科書から「李朝」を削除し「朝鮮」と韓国政府の要請にしたがって記述するようにしました。なぜ歴史の中で「李朝」と呼んで欲しくないのでしょうか。


初期朝鮮王朝時代の徳利

 それは推測するに、初代の王、李成桂が、結果的には主人である高麗王一族を殺戮して、王朝を簒奪したからです。これは理由のいかんを問わず、朱子学、儒教の教えに反するからです。だから李成桂の王朝を李朝とは呼ばずに、古来からの「朝鮮」と呼んで欲しいというように変わったのではないかと私は推測しています。
 韓国の歴史はこのように1392年の王朝発足当時にして、出足から儒教の理想と現実の矛盾に満ちた船出をしているといえるのです。

 しかし若干の矛盾を経てきた朝鮮の歴史ですが、一般人の先祖崇拝は今も健在です。街には先祖への供物を売る店が色とりどりに立ち並び、少し日本人には違和感があり、原色がきついのですが、慣れると華やかで、それはまた美しく感じるようになります。かつてソウル一番の骨董街であったインサドンは、今やファッションの最先端をゆく洒落た街になり、歩くと今は品の良い韓国文化を楽しめます。原色が品よくパステルカラー調に変化しつつあるようで、なかなか美しい色バランスになってきました。


韓国の旅にて

 もう間もなく、かつてのように日本人とより親しくなれ、気軽に訪問できるようになり、たのしい食堂のおじさん、オバチャンと再会でき、骨董店の親しいみなさんと昔のお付き合いのできる、ちょっとだけ昔に戻った韓国になってほしいと心から願って止みません。一部の支配者層を除けば、一般のみなさんは親切です。この鶏龍山鉄絵草花文耳杯を観るたびにそう思います。


素晴らしい鶏龍山鉄絵草花文耳杯
掌(てのひら)の骨董
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