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掌(てのひら)の骨董

日本骨董学院・学院長
東洋陶磁学会・会員
日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男

掌の骨董63. 黄瀬戸六角向付


釉溜まりと貫入の美しい黄瀬戸六角向付(桃山時代)

 侘び・寂びのやきものの王様が瀬戸黒や黒楽茶碗とすると、黄瀬戸はそれに次ぐ王妃のような高貴な薫りが漂う、やさしいやきものといえるでしょう。
 茶道の愛好者の間では、この黄瀬戸の微妙な色合いを理解し、愛することのできる茶人を「数寄者」と言ったとされています。まさに日本的美の数少なき理解者といえます。それほど、この黄色にこだわったとされています。中国の清時代の皇帝が愛した、いわゆるきれいな黄色とは一線を画する渋さがあります。


清朝時代の黄釉碗

 私はこの「黄瀬戸」を詳しく知りたいと思い、資料も含めれば、かなり多くの黄瀬戸を入手しました。これら黄瀬戸を焼いた窯は土岐市の大平窯や高根窯、可児市の荒川豊蔵の工房周辺の牟田洞古窯、その下方の窯下窯等が有名で、多くの名品を焼いています。


瀬戸の黄釉瓶子陶片(室町時代)

 そもそも黄瀬戸の初めの釉薬を掛けたやきものを製作した猿投の灰釉(かいゆう)がそのルーツですが、磁器質のボディーにこの灰釉を掛けて、酸素の少なめで高火度焼成すなわち還元焔で焼けば、我が国初の青磁の誕生となりました。しかし残念なことに、須恵器の時代から還元焔焼成を捨てて酸化焔焼成に切り替えていたので、青磁が生まれるのは後の伊万里磁器焼成(1610年頃)まで待たねばなりませんでした。


伊万里青磁(初期伊万里香炉)

 そのような訳で、我が国のやきものは17世紀まで青磁を焼くことはできませんでした。その代わり、青磁は焼けなかったのですが、代わりに黄色いやきものを手にすることができました。


黄瀬戸、油揚手の振出(桃山時代)

 黄瀬戸にはいわゆる「あやめ手」という油揚手と、光沢のある肌の「つばき手」の二種類があります。この油揚手の透明感のない、しっとりとした黄色は大変魅力的なやきもので、数少ないものです。数少ないもの故に鑑定は難しく、かなりのプロでも間違えることが多いとされます。やはり陶片で勉強することが大切です。


黄瀬戸「向付」タンパンとよばれる緑色が美しい。

 今回の「黄瀬戸六角盃(桃山時代)」はもう10年くらい前に友人の古美術商から手に入れたものです。一年前に東京美術倶楽部の正札会に出かけたおりにこれと同じ作品が売られているのを見つけました。いくらで売られているかは所有者とすれば気になるところで、値段を見たら600万円でした。
 かなり昔、今とは貨幣価値の違う時代でしたが、日本橋の有名な古美術商のところで、今回の「つばき手六角向付」よりやや大きい油揚手の黄瀬戸六角向付が、五客揃いで2,500万円でした。茶人のところに伝世したもので、数が揃えば珍しいし、一客500万としても異常に高額な値段ではありません。ただ大切に保存され、なかなか見かけないものだけに、こうした値段になるのです。


黄瀬戸六角向付の裏の輪トチン跡

 この向付には古い桐箱が付いています。紐穴は丸く、縄状の丸い撚り紐が使われていた極めて古い箱を思わせます。底の装飾彫りは朝鮮伝来の白磁筆筒を思わせ、18世紀半ばの、杉箱から桐箱に代わった辺りの時代が考えられる、極めて古く貴重な箱です。


付属のとろとろ味の古い桐箱と拡大写真
掌(てのひら)の骨董
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