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掌(てのひら)の骨董

日本骨董学院・学院長
東洋陶磁学会・会員
日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男

掌の骨董73. 備前・桃山時代のおあずけ徳利


備前・桃山時代のおあずけ徳利

 皆さんこんにちは。コロナ感染の第2波が来ています。怖いのは当初の危機感が少なくなること、すなわち慣れが一番怖いのです。

 人間という字は人の間と書きますから、いつもみんなと一緒が望ましいのですが、こうした状況下では、コロナ感染を抑えるには徹底した外出自粛と人中には入らないことが必要です。

 ワクチンの安全性確認も大切です。失敗している国もありますが、それは政府や製薬会社、医師、研究者の責任です。様子を見ながら摂取を受ける方が良さそうです。

 もともと人間は孤独感には耐えられませんから、なかなか難しいと思いますが、ここはお互いにメールとか電話で話し合い、是正すべきです。自粛による運動不足に対しては、私は風呂上がりの寝る前にスクワットを40回してますから、足の衰えはありませんし、良く寝られます。初めての方は10回から始め、徐々に増やしていくと良いです。


古備前花入(桃山時代)

 さて今回は古備前です。「古」とつく場合は備前の場合は一般的には桃山時代以前の作という意味です。「古」の付け方に決まりはありませんから、焼き物の名称により違いますので注意が必要です。

 備前は六古窯の一つではありますが、他の五古窯すなはち、常滑、信楽、丹波、越前、瀬戸はすべて東海系古窯であり、備前一つだけが須恵器系古窯なのです。詳しく申しますと、東海系古窯の窯には分焔柱があり、須恵器系古窯にはありません。また東海系古窯には高台に糸切痕がありますが、古備前にはありません。これが大きな特長です。

 分焔柱とは窯の中で焔をかき回して窯の中の温度を一定の高温に保つ技術で、釉薬の掛かった焼き物を最初に制作した猿投窯が開発した、当時の最新鋭の施釉技術の一つです。一般的に火前は温度が直接当たり上がりますから、釉薬は良く溶けるため前(まえ)半分は良く焼けますが、背面の部分は温度が火前に比べやや上がりませんから、釉薬が溶けないときがあります。


猿投小皿の施釉(銀色の部分は修復してあります)

 そこで猿投窯は釉薬を後側でも高温(1240度以上)で焼き、釉薬を完全に溶かすために工夫をします。それが分焔柱なのです。薪を焼く燃焼室から作品の置かれる焼成室の間に大きな柱を設けて焔を攪拌し、まんべんなく焔が高温で回るようにしたのです。すなわち施釉陶器を焼く独特な技術といえます。後の瀬戸に受け継がれ、さらに焼成室の中にも分焔柱は進出します。猿投山麓の「小長曽古窯」にその痕跡が残されています。江戸期まで長く分焔柱は使われます。しかし常滑も信楽も丹波も、越前も釉薬を掛けなくてもその伝統を受け継ぎました。それが東海系古窯です。


火襷

 備前だけはもともと釉薬を掛けない焼き物、すなはちおお元が須恵器で、釉薬を掛けない焼き〆陶器でしたから、分焔柱を必要とはしませんでした。

 しかし、備前は分焔柱がないかわりに他の古窯にない焼き方をして桃山時代の茶人たちを喜ばせました。その技術が、まったく新しい装飾法でした。火襷(ひだすき・器に藁を巻き焼いて、焼けた灰がうす赤く襷みたいに変化をだす方法)文様であり、ぼた餅(皿の上に煎餅みたいな土板を乗せて焼き、地に丸く白い焼き跡を残す焼き方)やゴマ(黒くゴマのように黒く釉薬に変化させる技術)などなどを考案して桃山茶道に旋風を巻き起こしました。


ゴマ(江戸前期の作品です)

 一味ちがう備前、赤くて渋い肌あい、釉薬を掛けないから、肌がやや荒く、茶筅を痛めるため茶碗には不向きではありますが、懐石料理や茶入れ、花入れ、おあずけ徳利には適した焼き物でした。桃山時代以降、江戸時代の前期に美濃は衰退しましたが備前はハデさはない代わり、小堀遠州や片桐石州に愛されて、これまで地道に繁栄して来ました。


人間国宝・藤原啓作・窯変茶碗

 また現代には数々の名工が生まれ、備前を盛り上げて来ました。金重陶陽、山本陶秀、藤原啓、藤原雄、伊勢崎淳と人間国宝が続き、伝統を継承してます。一般的には藤原啓までが人気が高いとされます。

 私は個人的には藤原啓の朱に近い華やかな赤色が好きです。渋さに華やかさがあり、素晴らしいです。

 それでは作品の鑑定ポイントを見て行きましょう。

 まず、作品の底をなでてください。ツルツルなら茶道具です。なぜならガサガサでしたらお茶会で高級な漆器や畳を傷付けるからです。丁寧に磨かれています。


磨かれた高台

 ガサガサなら雑器と言えます。日常雑器の壺などはざらざらのはずです。しかし壺でも口が玉縁なら備前ですし、粘土ひも巻き上げで作られ、室町時代からは次第に「田土」に変化し、肩に波状文が入ることが多くなり、愛好されます。土の粒子が細かくなり、渋い味わいがあります。

 藁を巻いて焼かれてできた火襷は、薄い味わいある自然な赤みがあります。現代ものの大量生産品や偽物は火襷をスプレーで、シュッと一吹きしますから、ハッキリ赤い火襷が出ます。本物は渋さがあり、味わい深さがあります。


備前壺の特徴・玉縁

 ゴマは備前独特の窯変の一種で、黒ゴマのような、細かいつぶつぶに見えます。

 時代の窯印が底に印状に押してあったり、手で描いたりしてあります。時代によって窯印は変わりますから、勉強が必要になります。

 また最初に書いたように、一つの大切な鑑定方法は、江戸時代以前の古備前には糸切痕が見られないことです。

 私は見たことはないのですが、江戸の中期あたりから備前にも糸切痕が見られるともいわれます。おそらく他の東海系古窯の影響からかもしれません。

 それに比べ、東海系古窯では古くから糸切痕があり、一つの判別の目安になります。


東海系古窯の糸切痕

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