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掌(てのひら)の骨董

日本骨董学院・学院長
東洋陶磁学会・会員
日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男

掌の骨董39.古九谷型押鳥草花文中皿


古九谷型押鳥草花文中皿(幅:148㎜ 高さ42㎜)

 最近、プロからアマチュアまでインターネットオークションが手軽な骨董売買で人気があります。私もかなり前からチェックして買うこともあります。最近そうしたネットオークション業者さんからすばらしい古九谷型押鳥草花文中皿を2枚落札しました。最近のデジタル写真の良い点は細部を拡大して鮮明に見られる点です。そのお蔭で、買う側の観察・鑑定能力が飛躍的に良くなったということもできます。


私の愛読書「魯山人陶説」

 私が敬愛してやまない北大路魯山人の著作に「魯山人陶説」があります。この本は私の座右の書というべき本であり、いつも自由気ままに好きなところを読んでおりますが、すべて素晴らしい内容です。今日はその中の「古九谷観」というところを読んでおりました。かなり前から古九谷伊万里説が学会などを中心に取りざたされていますが、魯山人はこういいます。
「吾人の如きは、そんなことはどうだっていいじゃないかという方の組で、そんな閑には直ちにモノを直視する。実体そのものの価値を観てそれに感じ入る。またそれに具わった美に心打たれて心身を浄める等々、これらの事柄を大切に心得る方の愛陶組である。ゆえにお国贔屓は全然ない。即ち是を是とする。従って文献などは刺身のツマぐらいにしか心得ていない。・・・古九谷は・・俵屋宗達の感じである。・・全くのところ日本の過去にかくも立派な芸術に価する古九谷が産出されていたことは、日本製陶史の非常な強味であって、この一点が添えられているため、日本陶磁界は完璧の境に達したと明白に強くいい切ってよかろう。」(昭和8年)と述べています。魯山人は日本で作品ができていたら、どこで作られようといいじゃないかと言っている訳で、それも東京国立博物館の陶磁室長の北原大輔先生が昭和13年に伊万里山辺田古窯を発掘して、古九谷の素地を多数発見され、古九谷伊万里論争が始まった訳ですが、魯山人はその5年前に加賀出来とか伊万里出来とかなどどちらでもよいといっているのです。そして古九谷は日本陶磁器の最高峰、芸術の最高峰であるといっているのです。日本人が作っているのであれば、伊万里や加賀などの国贔屓など無意味だともいっています。まさにその通りです。


宗達の作品の中でも特に優れた絵画である「蓮池水禽図」

 私は魯山人に備わっている直感、日本人としての感性、観る目は素晴らしいと思います。代表的な作品を通観しての結論ですし、すべての領域の比較研究がなされた結果の見解です。魯山人の場合、単なる個人的見解、感覚ではないのです。膨大な研究と購入と鑑識に費やした時間と金銭が魯山人の過去にあります。稼いだ金銭の大半はそれに費やされたと思われます。最も尊敬するに値することは、作陶でもなんでも、自分で体験して、すべて納得の行くまで製作していることです。生まれて以来育まれてきた美意識を、体験を通していっそう極める感性の育成、それが魯山人の人生をかけた目標だったといえるのではないかと思います。自分が納得いくまで体験してみる。他の評論家とは全く違う生き方です。


古九谷「色絵杜若図中皿」まさに琳派そのものの絵です。

 そうした優れた、たぐいまれなる磨かれた眼を持つ魯山人が最高だという古九谷作品の美。私も魯山人を追うように古九谷は昔から好きで、集めてきました。今回の作品はつい最近、ヤフオクで落札したものです。こんなにすばらしい古九谷が出品されるとは思いませんでした。それも思ったよりかなり安く手に入りました。

 古九谷の製作年代は1640年頃から金銀彩の終わる1668年頃までと考えられています。製作地は現在の発掘調査から大半は伊万里とされています。初期伊万里、古九谷様式、柿右衛門様式、古伊万里様式への変遷が伊万里の歴史とされてきました。
古九谷の源流と考えられるのは中国明時代の赤絵と五彩の技術であることは確実でしょう。その明の時代の色絵の技術を伊万里の陶工の誰かが中国人から教えてもらって学んだということになります。
 後に献上品の「鍋島」が古九谷のセンスの良い色絵技術の延長線上に成立しますが、きっと鍋島を中心とした献上品のコースとオランダ向けのいわゆる輸出品コース、それから国内の販路への作品作りの3通りの製作路線が形成されて行ったのでしょう。既に古九谷路線で、加賀の前田家のように日本の大名クラスが伊万里色絵を大量に購入していましたから、そうした需要の期待に応えるために、私がかねがねこの連載でも考え、実証してきたように、絵の見本として京都の宮廷絵師たち、狩野派あるいは琳派の絵師たちに下絵を依頼したか、当時の彼らの絵画を買い取ったかして、その絵そのものを手本としていたと考えられます。


鳥の拡大写真

 今回の鳥の絵は、まさに魯山人が言うように俵屋宗達あたりの下絵と考えてもまったくそん色ない出来です。この鳥の顔を拡大写真でよく見てください、小さい絵ですが素晴らしく達筆です。嘴や舌、目の表情の見事さ、足の指ののびのびした表現はなんとも絶妙という言葉に尽きます。菊花状の輪花型押による成型とその上に描かれた太陽光線を思わせる放射状のえんじ色線の独自のデザイン、そして中心の鳥と草花文のバランスのとれた、なんと素晴らしい絵でしょう!並みの絵師のデザインではありません。草花文も見事で、鍋島に引き継がれる葉先のねじれなども見られ、観飽きることがありません。

 後の明治時代の九谷の名工、徳田八十吉が一生かかって研究した「紫」の色もいとも簡単に発色しています。技術の高さが素晴らしいです。当然色絵には古九谷の鑑定では欠かせない「虹彩」がきれいに出ています。


山辺田窯出土の古九谷素地陶片

 色絵作品のボディー、いわゆる下地は山辺田窯あたりで焼かれ、それに有田の色絵町あたりで色絵つけがなされ、焼成されたと考えられています。色絵窯のあった有田町郵便局跡地の地下から色絵古九谷陶片が大量に発掘されたことが決め手となり、古九谷の有田での製作がほぼ決定的になったのですが、魯山人がいうように日本人の優れた感性で製作されたと考えれば、製作地はどこでも構わない感じがしてきます。

 鑑定ポイントは虹彩とえんじ色の色合い、紫の色絵釉の完成度、古九谷最後期の金銀彩濁手を除いた、ややグレー味をおびた素地の味わい、釉薬の中にみられる「ヒビ(貫入」これは釉薬のめくれ、剥離につながる重大な欠点でもあります。それと同時に色絵顔料の未熟さを物語る重要な経年変化であり、鑑定ポイントとなります。贋作には絶対に見ない現象です。


古九谷における、めくれ、剥離につながる釉薬の貫入

 これからも古九谷の名品を求め、できる限り楽しんで行きたいと思います。

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