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掌(てのひら)の骨董

日本骨董学院・学院長
東洋陶磁学会・会員
日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男

掌の骨董89.唐三彩について(2回目)


唐三彩小盃

 三彩とは基本的には素地の白に透明釉、緑、茶色ないしは黄色の三色から出来ています。中には藍彩(らんさい)という高価な呉須(ペルシャ産のブルーの顔料。酸化コバルト)を使用した作品もあります。これは極めて当時から高額なもので、現在の金1グラムと呉須1グラムが同等とされていた位、高額でした。今も金は高騰を続けて、かつてよりかなり高額になりましたが、唐の時代の金は今の金価格の数倍の価値はあったと推測できますから、庶民には到底、手も足も出ない貴金属、宝物でした。


藍彩を使用した副葬品の女性用の沓のミニチュア

 藍(酸化コバルト)は当時、ペルシャ(現在のほぼイランとその周辺)のみが原産地で、シルクロードの交易ルートや海のシルクロードを通じて取引された大変貴重な顔料でした。高温で美しく発色することから、後の元時代に生産が隆盛し、「青磁」や「元染付」としてイスラム世界に高額な貿易品として逆に輸出されました。


漢時代から六朝時代ころの杯。高台が小さく、高台が平ら。

 今回の「唐三彩小盃」は三代皇帝高宗の妃、則天武后(武則天・624年頃~705年)の後期の時代に製作され、后に愛された作品がたくさん制作されたようです。しかし人に害を及ぼす鉛釉が使用されたことから、生活の中では使われず、装飾に使用されたり、副葬品として大半は古墳に埋葬され、あの世への旅に同行しました。ですから、唐時代の墳墓から唐三彩は発見されることが多いのです。本作品も汚れや劣化の具合を観ますと同様の過程を経た作品であることが考えられます。


贋作の藍彩杯。貫入が肉眼でも確認できるほど大きい。

 まず鉛釉として長い年月を経ますと、虹彩(こうさい)が釉面に現れます。この虹彩はガラスの劣化現象と同じに七色から銀彩、そして金彩に変化してゆきます。そこを10倍から40倍くらいのルーペで丁寧に観ますと貫入と美しい虹彩が見えます。見る角度や光の反射角度を変えながら観てください。貫入が肉眼では見えないくらい細かく、更に虹彩が際立ち、七色や銀色に輝いたら本物といえるでしょう。高台はベタ高台か、軽く削った程度の高台で、いわゆる深く彫り抜いた高台はこの武后時代にはありません。


平らな高台の唐三彩

 各地の骨董市に三彩は出ていることもありますが、大半は贋作です。贋作の特徴は先の真作の特徴に迫ることはできません。その特徴以外となります。

 私は漢時代から唐時代のやきものが大好きです。三彩以外には藍彩の作品、唐白磁などが好きです。悠久な中国大陸に花咲いた貴族文化は次の北宋に引き継がれ、すべての芸術分野において更なる高度な発展をしてゆくことになります。


初期黒楽茶碗に表れた虹彩

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