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インターネット公開文化講座

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掌(てのひら)の骨董

日本骨董学院・学院長
東洋陶磁学会・会員
日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男

掌の骨董68. 後漢の小壺


後漢の小壺

 今回は古代中国・後漢の小壺に登場してもらいました。実はこの小品は私のものではなく、日本骨董学院会員のIさんの愛蔵品で、東京の門前仲町の富岡八幡宮骨董市で見つけて購入されたようです。これを買われるのはかなり眼が高いです。講座の折りに持参され、この作品の正体を知りたいと調べたけど、不明とのことでお預かりしました。底に「1976年 青森県大平川出土」と墨書されてます。


作品裏の墨書

 私は直感的に、この作品の姿形を観て日本のものではないと思いました。青森県出土とありますが、それはフェイクです。調べましたが青森県には大平(おおだい)川という川はありませんし、どなたかが、世界最古(紀元前16500~15000年・放射性炭素C14年代測定法による)の縄文時代草創期の土器片が出土して有名になった青森県大平(おおだい)山元I遺跡の近くにきっと大平川があり、そこから出土したと偽ったものであると思いました。


世界最古の縄文土器片

 私はこれまでに学生時代から五回、東北地方の縄文遺跡を回り、昨年にはこの大平山元I遺跡を訪ね、世界最古の土器片を観せていただきましたし、その出土場所を詳細に調べて歩きました。確かに大平山元I遺跡の近くに川が流れていますが、あの川口からは新鮮でおいしい白魚と町の名前にもちなむ美味なトゲクリガニがとれることで有名で、大平川という名前でなく「蟹田川」といいます。

 この作品の底には糸切痕が認められますから、もちろん縄文土器でもなく、弥生土器でもありません。須恵器も考えましたが、認められる糸切痕は古くは東海系古窯か大陸系であり、本作は煤が付着してますが、須恵器の土質でもありません。

 形から観ますと、私の大好きな漢の時代の加彩壺に酷似してます。そこで倉庫から漢の加彩壺を出して来て、比較してみました。


漢加彩饕餮文双耳大壺

 特に口作りの上に開いた感じが似てますし、口から胴の形の流れが酷似してます。第一勘としましては漢の小壺といたします。

 次に気になったのは胴の上から1/3くらいから横線文が現れますが、これは意図的人工と偶然にできたという両見方がありますが、偶然は考えにくいです。後の猿投の三筋文小壺の形にも類似して見えますし、須恵器に深彫りされた横線文にも見えます。ここまで成形で完璧な轆轤捌きを見せておきながら人工以外考えられません。


猿投三筋文小壺(東大寺二月堂裏山祭祀場出土)

 こうした様式からだけですといろいろ類似性が広範囲に見られポイントを絞りに難くなりますから、もう1つ違った見方、土味から考察することにしました。古来から土味、すなはち土の質を考察することは陶磁器鑑定の必須項目とされてきました。これは前回は古い石でしたが古代シリアのスフィンクスの研究の時に、エジプトの18王朝のアラバスターとの比較で応用したように、土でも石でも極めて有効な識別方法です。特に焼き物は土をよく見よといいます。

 記憶をたどりますと、かつて漢加彩俑(よう)に同類の土味を観たことを思い出しました。その土味に大変似ています。漢は大半、ねずみ色か緑釉作品は赤みを帯びた土が多いのですが、時々俑や皿にベージュかかった土が認められます。その色に似てます。漢の作品には三種類の土味、種類があることになります。
 私が現在側に置いてる俑の土に少し似てます。しかしもう一枚漢の緑釉の皿がありました。その皿には先の糸切痕がハッキリついていました。

緑釉皿の糸切痕と土味

 この皿の土はまさに問題の土味と同じです。
 こうして小壺の正体が判明しました。


土の比較

 結論として、漢後期かそれ以後、漢の文化の影響を強く受けた国、すなはち司馬師、昭、炎という司馬懿の子孫の流れで成立する西晋において副葬品として作られた小壺と考えられます。三國志の曹操の後裔たち、司馬懿の後裔たちの時代といえます。陶磁器の歴史は王朝が交代してもその技術は大切にされ、継承されるケースが多いです。貴重な陶磁器の技術は大切にされ、引き継がれました。やはり古い作品には歴史のロマンが背後にあり、素晴らしく魅力ある世界といえます。


漢の小壺
掌(てのひら)の骨董
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