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インターネット公開文化講座

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掌(てのひら)の骨董

日本骨董学院・学院長
東洋陶磁学会・会員
日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男

掌の骨董58. 石仏飛天像


石仏飛天

 前回は日本の掌に乗るかわいい大黒天の木彫仏でしたが、今回は中国、それも古代の北魏の天女(飛天)の石仏に登場してもらいました。
 私はもう10年から15年前の5年の間、五回中国のシルクロードと、その拠点となる西安、敦煌、ウルムチ、トルファン、火焔山を訪問したことがありました。火焔山、敦煌は、日本骨董学院の会員のみなさんと、そのうち三回旅しましたが、奥に行けば行くほどペルシャ(現在のイラン)の雰囲気が濃くなります。人々も男女共に彫りの深い顔立ちで、中国人のそれとはかなり違ってきます。服装も色合いが華やかになり、背も高く優雅な感じになります。


美しいシルクロードの砂漠(敦煌)

 砂漠は乾燥してますから、日本みたいな湿度ではなく、暑くは感じませんが40度以上になることはしばしばです。私は孫悟空が悪魔と戦った舞台の火焔山麓のベゼクリク千仏洞を訪れたときは日本の春でしたが、43度くらいになり、ラクダも暑さのために砂漠にひっくり返って休んでました。我々には常に水分補給は欠かせず、絶えずペットボトルを携行しました。


水瓶を持った国宝・十一面観音菩薩(向源寺)

 よく見れば観音菩薩も水瓶を手に持ち、そこには祭祀用の聖なる水が入っているとされますが、インドや乾燥した中国の高熱地帯におられるときに水は菩薩といえど生存ための最低必要不可欠なものだったことでしょう。


敦煌の優美な飛天

 夕陽の素晴らしい敦煌には美しい莫高窟、楡林窟があり、その壁画には優雅に天女たちが空を舞ってます。飛天ともいわれます。今回の飛天は石仏で、彫刻としては仏像の光背部分に彫られたものが多いようです。羽衣を纏った優美な姿の天女像です。
 詳細に観察しますと、色褪せた赤色が残っており、やはり多彩な彩色が施されていたことが分かります。大半の石仏、壁画には赤青黄緑紫黒などが彩色されますが、赤黒以外の色彩は色褪せることが多く、剥離スピードも激しいようです。今回の飛天にも赤がかすかに残っているのみです。


優しいお顔の飛天

 この飛天の特徴はやはりなんといっても顔でしょう。頬骨の角張った顔は漢民族の特徴といってよいでしょう。この石仏は遊牧騎馬民族の北魏時代の石仏と思われます。北魏は鮮卑族といわれる遊牧騎馬民族とされ、縦横無尽に中国大陸を駆け回った人たちとされます。やがて都をつくり定住します。石仏は重く、したがって遊牧移動する民には不向きでしたが、定住することによって、ガンダーラに始まった石仏彫刻は次第に中国に根を下ろしてゆきました。


ギリシャ青年そのものの、初期ガンダーラ石像

 漢帝国成立後、漢民族は中国を支配する最強民族とされますが、そのルーツは古くからの遊牧騎馬民族であるという説が高いようです。人気の三國志の曹操も漢人とされます。この北魏時代の飛天も頬骨の張った漢人を思わせる特徴ある顔立ちをしてますが、優しい目元と微笑みには、彫りの技術とともにとても魅力を感じます。


敦煌で一番美しいとされる観音菩薩像

 天から舞い降りてきた姿も幸運を招いてくれそうな感じがします。天女は我が国でも富士と松林を舞台にした天の羽衣伝説とともに、優しい観音菩薩や悲母観音のイメージからか、親しまれるようになりました。


同時代の北魏のかわいい飛天像
掌(てのひら)の骨董
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