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掌(てのひら)の骨董

日本骨董学院・学院長
東洋陶磁学会・会員
日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男

掌の骨董59. 元時代の鈞窯・盃


掌の鈞窯盃

 今回は私が中国陶磁器を勉強している中で一番最初に感動した「鈞窯」についてお話させていただきます。もう25年以上前になりますが、東京の池袋にあった東武美術館で、スイスの実業家、アルフレッド・バウアー(1865-1951)のコレクション展が出光美術館の後援で行われました。


バウアーコレクションの鈞窯・澱青釉紅斑文盤(12-13世紀)

 その時に観た鈞窯の大皿はいまだにそれ以上の驚きを感じたことのない、人生での大きな衝撃でした。なんと美しい皿なのだろう。通常「月白釉」と言われる鈞窯独自の青白いブルーは、銅の還元焔焼成で表れる辰砂の美しいエンジ色と対比をなして、微妙な変化の妙を見せてくれますが、この皿には中央の見込部分に、他の作品にはみることのない、うっすらと辰砂のエンジ色が上品にでていて、とりわけ魅了されます。写真ではどれだけその美しさが伝わるか疑問ですが、またバウアーコレクションが展覧されるときに、この作品だけはぜひご覧いただきたいと思います。
 作品は何でも「実物」を観ないと、その美しさは伝わりません。実物を観た感動が一番大切です。

 鈞窯作品は青磁の一ジャンルです。学者必読の書とされる「陶磁器の科学」(内藤匡著)によりますと、鈞窯の月白釉の成分はわずかに含まれるケイ酸、錫、チタン、鉄、銅などのリン酸化合物がこうした色合いを出すとされます。
 「青磁」は中国陶磁器の華であり、日本人にも古来聖徳太子の時代から古越州窯青磁として愛されてきました。中でも平清盛は中国貿易に熱心で、それにより莫大な資金を得て、後白河政権を支えたとされます。三十三間堂は、一般的な解説では、後白河法王が隠居用に建立したとされてますが、そうではなく平清盛の中国貿易によって蓄えられた財力によって建立され、後白河法王に献上された、空前絶後の贈り物とも言われています。

三十三間堂
1001体の菩薩像

 その権力者、平清盛が愛した青磁茶碗が、後に足利義政に伝わり、義政が最も愛した「馬蝗絆」という最高に美しい茶碗といわれます。私がもう一つ、鈞窯の大皿以外の中国陶磁器に感動したのは、この義政の愛した俗称「馬蝗絆茶碗」です。この割れて修復がある茶碗は、本当に他を寄せ付けない青磁の美しさを持っていて魅了されます。最高の青磁です。清盛も義政も素晴らしい審美眼を持っていたと改めて感心します。


義政の愛した馬蝗絆茶碗

 さて今回の鈞窯盃に戻りますが、この盃は元時代の作品で、私がたまたま手に出来た盃で、辰砂の美しい涙のような流れが観る者の眼を奪います。


盃の見込の辰砂の美しさ

 ルーペで40倍に拡大して観ると、それは素晴らしい色合いです。元時代になりますと、北宋、南宋の貴族的洗練さは影を潜め、好みが武士的にやや荒く変化して行きます。
 土味は粗めになり、作風もやや武骨さが見られるようになります。バウアーコレクションの皿では美しい鈞窯ブルーに魅了されましたが、この盃では辰砂のエンジというか、赤に魅了されました。


鈞窯香炉

 写真の南宋末期から明初期と思われる香炉の縁と底に美しい鈞窯ブルーが鑑賞できます。これを観ながらバウアーコレクションの皿を思いだしています。いつかまたこの皿を観る機会が訪れることを願っています。

バウアーコレクションの大皿
盃の裏側
掌(てのひら)の骨董
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