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掌(てのひら)の骨董

日本骨董学院・学院長
東洋陶磁学会・会員
日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男

掌の骨董54.「唐時代・金銅唐草文高杯」について


造形美の極み「唐時代・金銅唐草文高杯」

 東京は梅雨に入り、私の好きな紫陽花が美しい季節になりました。特に美しいブルー色の紫陽花が好きです。北鎌倉の東慶寺の額紫陽花もお気に入りで、もう何十年も写真を撮りに行ってます。梅雨の楽しみの一つです。


美しい紫陽花

 つい先日、正倉院展の日程が発表されました。かつては、作品が奈良国立博物館に搬送される前に日程が発表されることはなかったのですが、最近は搬送に対する安全性が確保され、さらに令和を記念して東京国立博物館で展示も予定されているようです。今年の奈良国立博物館での正倉院展は10月26日から11月14日の予定です。


遣唐使船

 正倉院展といえば、遣唐使船による唐文化の輸入がその原点です。聖徳太子による遣隋使が始まりで、当時の東アジアの最先端をゆく随文化の摂取が目的です。飛鳥時代当時の日本は国家建設のための高い理想に燃えており、そのためには仏教文化の最先端を行く隋の文化を輸入し、それから学ぶことが早いと考え、630年に犬上御田鍬を派遣したのです。隋は煬帝の大運河建設で国民の怨みをかい、皇帝は暗殺され、聖徳太子の理想国家建設は頓挫しますが、その理想は聖武天皇の遣唐使に引き継がれ、政治、経済、文化、医学など計り知れない影響を日本文化に与えました。

 遣唐使がもたらした家具、美術品、薬と様々な容器の数々が、体の弱かった聖武天皇の日常生活に使われました。そうした品々が聖武天皇の亡くなられた後、光明皇后によって東大寺に献納されたのでした。残された聖武遺愛の品々を見ていると悲しくなる、というのがその理由とされます。


正倉院校倉造の収蔵庫

 遣隋使から約20年を経て、遣唐使として再開されました。唐文化の最高の品々が遣唐使船によってもたらされ、日本の文化の発展に大きく寄与しました。それが正倉院御物ということになります。その1万点以上におよぶ品々の中でも特に素晴らしいのが鼈甲に螺鈿細工された「螺鈿紫檀五絃琵琶」とされ、制作された中国にも保存されていない、世界に唯一つしかないとされる貴重な美術品です。こうした類をみない美術品が現在まで破損、略奪されることなく伝来したのは、そこに皇室を畏れ敬う日本人ならではの歴史が感じられます。


世界の宝「螺鈿紫檀五弦琵琶」

 さて今回の「唐時代・金銅唐草文高杯」は小品ながらいかにも貴族文化の香り高い作品です。唐草模様はエジプトに端を発する世界的に愛される文様で、それが彫刻を通して仏教に取り込まれ、法隆寺本尊釈迦三尊像の光背に描かれるギリシャ様式の唐草模様が日本最古とされます。そうした唐草模様がさらに唐時代に進化発展して、洗練された姿がこの杯の側面に彫られ、渡金されています。こうした素晴らしい唐草模様は陶磁器の中に、次世代の定窯から耀州窯に引き継がれ、北宋時代に最高レベルに到達します。またこの作品の高台を見ると、シルクロードの先にあるペルシャのその造形美を取りこんだ唐の工人たちのセンスの高さとそれを実現する技術に惚れ惚れとします。上部の杯部分と高台のバランスの美しさはノーブルというか、洗練されていて比類がありません。


北宋耀州窯花唐草文瓶の美しい片切彫の花唐草文様

 この金銅杯をルーペでよく観察しますと、唐草文様の背景に手彫りの極小の丸文様がびっしりと彫られています。これは日本も学び、さらに発展させて、見事な魚子地(ななこじ)に発展させます。


江戸時代の大名刀装具の縁頭に整然と刻印された見事な「魚子地」

 この「唐時代・金銅唐草文高杯」を観るにつけ、シルクロードの影響と唐文化の素晴らしさを改めて感じます。


「唐金銅唐草文高杯」
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