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掌(てのひら)の骨董

日本骨董学院・学院長
東洋陶磁学会・会員
日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男

掌の骨董80.李朝鶏龍山鉄絵唐草文徳利りちょうけいりゅうさんてつえからくさもんとくり


李朝鶏龍山鉄絵唐草文徳利

 読者の皆さま、こんにちは。今回は「掌の骨董」連載第80回という節目の回を迎えることができました。読者の皆さまはもちろんのこと、連載を陰で支えてくださる皆さまに、心より感謝申し上げます。

 さてこの20回ごとの記念すべき回を迎える度に思いますのは、古美術品はそれだけ皆さまに愛されていて素晴らしい世界であるということです。古今東西、数限りない品々がひしめく中から選び出す楽しみは格別ですし、また経験したことのない領域の対象であれば、これも調べ甲斐があります。私なりの結論にたどり着いた喜びもまた特別なものがあります。これからも頑張って書いて参りたいと思いますので、引き続き皆さまのご愛読をいただけますよう、お願いいたします。

 さて今回は茶道界や古美術業界でも安定的に人気の高い、いわゆる「鶏龍山鉄絵唐草文徳利」を取り上げました。


徳利の高台部分

 今日もこうして原稿を書くために作品を出してみると、いい徳利だなぁと改めて思います。骨董マニアはみな自己満足の世界を普遍化できる人たちですから、その幸せを感じるひと時がすべてといえます。このひと時のために生きているようなものではないでしょうか。

 まずこの長い名称についてお話いたします。「李朝鶏龍山鉄絵唐草文徳利」李朝は朝鮮の1392年に一武将であった李成桂が主家である高麗王朝を簒奪して立てた王朝です。韓国は儒教の国ですから、長老、年長者を敬うことはあっても主を殺すことは教えに反することであり、これを民族の汚点と見たか、李朝を使わず朝鮮王朝と記載して欲しいと日本政府に言ってきたようです。私は朝鮮王朝より李氏朝鮮、略して「李朝」の方が響きがよく好きですから、そのまま使っております。

 さて鶏龍山は作品が制作された山、すなわち窯場の名前です。にわとりの冠のような形の急な山並みと、龍のような緩やかな山並みが見える場所からついた名前であると地元の方から聞きました。白土化粧された作品を「粉青沙器(ふんせいさき)」といい、単に「鶏龍山」とか「鶏龍山系陶器」ともいいます。鉄絵は鉄分の多い絵具で紋様を描いたという意味で、唐草文を描いた徳利ということです。名称は最初に生産国、場所、制作技法、装飾内容、器の用途名称と続くのが一般的です。


エジプトの蓮のレリーフ(セティ一世墓)

 唐草紋様は日本の紋様と考えておられる方がいますが、歴史をたどると古代エジプトにその誕生を見ることができます。ロータス紋様がルーツとされます。その後仏教に取り入れられ、香と共に伝来し、仏教に馴染みの深い花となりました。

 日本で最初の唐草文が使われたのは、日本最古の金銅仏、法隆寺釈迦三尊仏の光背の紋様とされています。


法隆寺釈迦三尊像

 この徳利の唐草文様を描いた陶工はどんな人だったのだろうかとか、この時代の姿形をつくれる陶工の技量、美的センス、こうした時代の持つ美しさ、素晴らしさ、自然の表現力を北大路魯山人は「さくゆき(作行)」と呼んでいます。以前も取り上げましたが、大変重要な内容ですから、再度ここで皆さんに読んでご理解いただきたいと思います。
 魯山人の著作「魯山人陶説」の中の一文「私の陶器製作について」と題する重要な箇所を引用してみましょう。

 あるやんごとなき御方の御下問に奉答したという彼、魯山人の一文です。

 魯山人「(作陶におきまして※著者注)一番私の重きを置いておりますのは作行(さくゆき)であります」
 「作行とは?」とのやんごとなき御方の御下問に魯山人はこう答えています。


赤楽茶碗(作者・楽家九代了入作)の作行

 「土の仕事、即ち土によって成り立つ成形上の美醜に係わる点に於いて、芸術上から鑑る観点であります。陶磁器は、この土の仕事が芸術的価値を充分に具えていることを第一条件とします。いかに美しい釉薬が塗布されても、いかに力ある模様が付されていても、土の仕事が不十分では面白くないものであります。それに引き換え、土の仕事が芸術的価値を充分に具えます場合は、釉薬が掛かりませんでも、少し曲がりまして出來そこねましても、所期の色沢が出ませんでも、元々根本の土の仕事の作行が良いのでありますために、燦然として有価値に光を放つのであります」と応えています。


桃山時代の鼠志野向付の作行

 これは極めて重要な魯山人の古美術、古陶磁器を観るポイントが凝縮された文章です。このまさに魯山人が言わんとする「作行」こそがこの李朝鶏龍山鉄絵徳利にも出ているように思えます。陶磁器の名品にはすべて、この魯山人のいう作行の良さがあるといえます。

 良い作品は何度観ていてもさらに良さを増します。以前書きましたように、私は東京国立博物館を訪問した時には必ず観に行くいくつかの作品があります。それらは私の魂を揺さぶる作品です。最近は仏像に対してその評価の傾向が強くなりました。やっとエジプトからギリシャ、ガンダーラ、中国、朝鮮を経た彫刻美の系譜が観れるようになったからだとも思えます。

 改めてこの「鶏龍山鉄絵唐草文徳利」を観ると、まさに彫刻と同じような世界、エジプト、ギリシャの唐草の息吹、李朝鶏龍山鉄絵の伝統による素朴でのびのびした唐草文、さらにその姿に魯山人のいう「作行」の美が混然一体をなして、自分に迫ってくるのです。


肩から胴のライン

 この徳利の鑑定ポイントはまず重さです。大半の李朝陶磁器は普通より重く、まず手にした時に重さがドシッときます。形を安定させる意味から厚く制作されるケースが陶器も磁器も多いようです。また鶏龍山系陶器の場合、釉薬の自然な剥離、すなわちカセが出る場合が多いです。カセは年月を経た釉薬の自然な劣化による剥離で、普通は数百年経ないと現れない現象で、古陶磁器の真贋を観る時に重要なポイントとなります。本連載の前に鑑定の基本について書いておりますから、参考にお読みください。

 それから朝鮮半島の陶磁器を観る時に、押さえるべきは形です。この徳利の肩から胴に移るあたりにカーブか変わる箇所があります。この角度が少し変わるのが朝鮮陶磁器の特徴の一つといえます。


李朝粉引茶碗の胴部の角度が変わる特徴

 茶碗も同じで、写真の李朝粉引(こひき・こびき)茶碗を参考にしてみてください。胴の真ん中あたりのカーブに変化が見られます。これが朝鮮系陶器の形の特徴です。日本の唐津の陶器も同様です。唐津は朝鮮からの帰化陶工が制作したとされますから、同じ特徴が出ます。

 さらに新羅時代から「ふくれ」が出るケースが多いです。これは土の中に空気が微量入り込み、高温で焼成されて、お煎餅のふくれのように膨張したものです。潰れると価値がひくくなりますから、扱いに注意しましょう。


ふくれの拡大写真

 この徳利の頚は、くぼみから上部分はすべて修復されています。日本にも葬儀の後、使用した陶磁器を壊す風習が一部残ってますが、朝鮮でも古くから副葬品は破壊する習慣があったようです。それは死者はこの世で壊れた存在と考え、あの世で再生復活すると考えられました。副葬品もこの世で壊して埋葬してあの世に送れば、あの世で再生して使用されると考えたようです。こうした考えは女性の葬送に使われたと考えられる縄文土偶が大半破壊されていることに遡るのではないかとも考えられています。


李朝鶏龍山鉄絵唐草文徳利の頚部分

 本作品頚部は修復され、粗めの銀粉により渋い味わいに仕上げられています。

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