愛知県共済

インターネット公開文化講座

文化講座

インターネット公開文化講座

掌(てのひら)の骨董

日本骨董学院・学院長
東洋陶磁学会・会員
日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男

掌の骨董56. 瀬戸黒茶碗


瀬戸黒茶碗

 前回、楽家九代了入作・黒楽茶碗についてお話いたしました。今回は同じ黒い茶碗ですが、私の好きな瀬戸黒茶碗について書いてみたいと思います。
 昔は荒川豊蔵、加藤唐九郎、北大路魯山人などの著名人が美濃の窯跡を発見して、美濃の発掘ブームがありました。その頃、大萱近くのゴルフ場のあたりの街道沿いにゴルファー相手のトタン屋根の小屋が軒を連ね、志野、織部、黄瀬戸、瀬戸黒作品の陶片を大量に安く売ってました。私も安いので、いくつかの瀬戸黒茶碗の陶片や織部の陶片を買いました。かなり大きな陶片で、三個くらいあれば一つの茶碗が作れるくらいのものでした。同じ釉調の赤い土の瀬戸黒陶片を五片買いました。土の感じから高根古窯あたりの瀬戸黒茶碗の陶片だと思いました。高根古窯ははっきり桃山時代と限定できる窯として有名です。いつかこれで一つ茶碗を作れたらすばらしいなとその時思ったからです。
 それから30年ほど時が経ちました。荷物整理してましたら、その瀬戸黒陶片が出てきました。懐かしいそれらを手にして、今や貴重品となった瀬戸黒茶碗の陶片を、継ぎ合わせて一つの茶碗にしたいという、かつての思いが甦りました。あのとき、トタン屋根の小屋で、もっと志野や黄瀬戸の陶片をたくさん買っておけば良かったと悔やまれます。
 懇意の修復師Mさんに無理をいって頼んでみました。時間は制限しないこと、不足の陶片があったら調達することを条件にチャレンジしてもらうことになりました。
 しばらくして電話があり、全てが合う陶片か調べてみたら、高台あたりの一部にいくつかの陶片が足りないことが分かったとのことでした。そこで私は土岐市、多治見市の懇意の古陶器を扱う店を訪ねて探すことにしました。同じ桃山時代の高根古窯の赤みのある土の高台となるとなかなかありません。改めてあのトタン屋根の小屋が思い出されました。一生懸命探しましたが、やっと久尻元屋敷窯の、ねずみ色の五斗蒔土の高台回りの陶片を見つけ、とりあえず購入しました。なぜ桃山時代の瀬戸黒茶碗の陶片が、こうもないのか考えましたが、やはり私と同じように貴重となった瀬戸黒茶碗の陶片を集めて一つの茶碗にしようと考える骨董屋さんがたくさんいて、皆が売らない傾向なんだと気づきました。仕方なく今回の元屋敷窯の高台陶片を使って修復してもらうこととしました。


完成した瀬戸黒茶碗

 仕上がりまでに、ほぼ一年かかりましたが、それはさすがプロの修復師Mさん、すばらしい仕上がりで、感心しました。古と斬新さが合わさった現代彫刻を思わせる瀬戸黒茶碗が出来上がりましたが、彼はもうこのような大掛かりな修復は二度としたくないともらしてました。まずボール紙で全体の型を作り、それに合わせて陶片を削って漆で厚く合わせるのが、かなり大変だったみたいです。
 瀬戸黒の茶碗がなぜ貴重品かというと、鉄釉をたっぷり掛け、1,240度以上で何日も焼き、完全に鉄釉が溶けたのを確認して窯から取り出し、水に入れて急冷させますが、この時に急に収縮して大半の釉薬が弾け飛んで、器体も割れてしまいます。しかしその内のいくつかは奇跡的に割れずに完全に残り、いまに伝わります。ですから数も少なく高額な茶碗として、我々には当時から高嶺の花でした。製作時の割れた陶片でさえもが、今や高額であり、品薄であることも理解できます。そこで残された陶片で茶碗を復元しようということになるのです。現在は埋蔵文化財保護法の規制を受けて、発掘はできませんから、ますます陶片の価値も高くなっています。
 桃山時代の作品は瀬戸黒に限らず、堂々として造形がのびのびし、躍動感があり、他の時代の焼き物とは大きく一線を画します。鉄釉は真っ赤に焼けてる時に水に入れられ、急冷され、漆黒に変化します。こうして生まれた黒い釉薬は本当に黒い宝石ともいうべきすばらしいものです。ゆっくり冷やすと鉄釉は茶色に変化し、当時の茶人の求める夜の闇の漆黒にはなりません。たまたま割れなかったわずかな瀬戸黒茶碗が貴重な茶碗として伝世して、今や博物館、美術館に並ぶわけです。こうして私は修復してはありますが、最初の桃山時代の瀬戸黒茶碗を手にしました。


急冷され、つぶつぶ状態に縮まった桃山時代の鉄釉

 黒楽茶碗は瀬戸黒茶碗の悪い歩留まりを改善して、鉛釉に微粒子の黒石を混ぜて漆黒を保ち、安定的によい作品を供給する工夫をしました。
 その後私は熱心に探した結果、運良く完全な桃山時代の瀬戸黒茶碗を手に入れることが出来ました。先の修復した瀬戸黒茶碗は釉薬がカセていて、黒い色も劣化していますが、この完品の瀬戸黒茶碗は急冷された結果、漆黒の釉薬が1/3くらい剥がれ飛んでますが、よく割れなかったと感心するほどです。観れば観るほどすばらしい漆黒の釉薬です。


完品瀬戸黒茶碗の剥がれ飛んだ鉄釉

 黒楽茶碗は高台全てに鉄釉が施されていますが、瀬戸黒茶碗は高台には釉薬を掛けません。ですから高台の土を観賞することができます。赤楽茶碗は釉薬を高台手前で止める場合が大半です。


赤楽茶碗の高台と黒楽茶碗の高台

 楽茶碗は原則一点制作ですから、窯から引き出す時のペンチの跡が内外に付きます。


黒楽茶碗外側のペンチ跡

 また楽茶碗の鑑定ポイントは手びねり制作で、轆轤は一部仕上げに使う程度が多いようです。また内側中央に山状の凸帯があるのが、轆轤作りの瀬戸黒茶碗と違う点です。茶筅で茶を立てる際に茶が飛び散ることを防ぐための凸帯ともいわれます。口縁は内側に巻き込まれるケースも多く、初代長次郎茶碗に顕著です。


長次郎黒楽茶碗

 それらは瀬戸黒茶碗との違いとして注目されます。桃山時代の瀬戸黒茶碗は下にやや広がる傾向があり、それは楽茶碗にも見られる傾向です。


下に広がる瀬戸黒茶碗
掌(てのひら)の骨董
このページの一番上へ